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ロードバイクで辿った 名所・旧跡

関西 名所・旧跡 一覧
サイクリングロード での 名所 や 旧跡
 
自転車コース上にある
 1. 景勝地
 2. 歴史的町並み
 3. 城
等の訪問地一覧。これらも徒歩であれば一部分になるが、自転車があればこそ、全体を見て回れる場所である。
 
 
 
 
 
 
21. 岐阜県の名所・旧跡
 
 
 
 
24. 三重県の名所・旧跡
 

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25. 滋賀県の名所・旧跡
 
 
 
 
26. 京都府の名所・旧跡
 

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27. 大阪府の名所・旧跡
 
 
 
 
 
1. 大ケ塚 寺内町(だいがつか じないまち)
 

 寺内町の形成は、永禄11年(1568年)に織田信長が河内に入り、根来衆が敗退した後、村人が自衛のために久宝寺顕証寺に依頼し、根来衆の大ケ塚道場善念寺を顕証寺の通寺としたことにはじまる。

 
 
 
 
2. 富田林 寺内町(南河内サイクルライン)
 

 永禄初年頃(1558~1560年頃)、興正寺門跡証秀上人によって創建された興正寺別院を中心とした寺内町として誕生し、商売の盛んな在郷街として発展しました。  現在も創建当時の六筋七町(後に八町)の町割りや、重要文化財旧杉山家住宅、大阪府指定文化財仲村家住宅など往時の繁栄を偲ぶ重厚な町家が数多く残されています。また、大阪府内で唯一の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

 
 
 
 
3. 久宝寺 寺内町
 

 蓮如上人が手がけた久宝寺のまちづくりは、蓮淳に至って完成されました。寺内町の成立は天文10年(1541)12月15日で、天文日記に「久宝寺、西証寺之制札認来候」と書かれていて、その内容は不明ですが、寺内町としての特権を得ています。以後、町は人家も増え経済活動が活発となり、当時の代表的な自治組織として繁栄しました。
 顕証寺が一切の町の支配権を持ちますが、顕証寺の創建に協力し、乱世の中で顕証寺と連携していた土豪・安井氏にその権が委ねられました。久宝寺寺内町は、摂津から天王寺、平野を経て大和へ通る八尾街道の主要路にあり、また、旧大和川河畔に位置し、大坂から南大和へ通ずる水上交通の要衝の地にあったこともあって、中・南河内の真宗信徒集団を束ねる拠点ともなりました。

 
 
 
 
4. 環濠自治都市・平野郷
 

 大阪市内で最も早くに形成された町で、東に大和、南に紀泉をひかえ、平安時代より交通の要衝として発展した。戦国時代には周囲に二重の堀をめぐらせた環濠都市であり、堺と並ぶ自治都市でもあった。
 町割りは、大阪夏の陣で消失後、元和2年(1616年)再整備され、現在に至る。地区内には、大念仏寺をはじめとした古刹が点在し、その間を縫うように戦災を免れた古い民家が随所に残る。現在は、住民による町おこしとして、「平野町ぐるみ博物館」運動が進められ、イベント等が行われている。

 
 
 
 
5. 岸和田城
 

 安土桃山時代に豊臣秀吉の叔父小出秀政(ひでまさ)が5層の天守を築いた城。建武年間(1334~36年)頃、楠木正成(くすのきまさしげ)の一党和田高家(たかいえ)が現在の和田町あたりに築城したのが岸和田城の始まりといわれる。その後、和泉守護細川氏や守護代松浦氏など、城主がめまぐるしく交代した。その間に現在地に移されたが、天守閣もなく、館の周囲に塀や土塁をめぐらせただけの城館であった。1585年(天正13)、豊臣秀吉の叔父小出秀政が3万石で入封、秀政は本格的な築城にとりかかった。このとき5層の天守閣を築くなど、近世城郭として整備された。豊臣氏滅亡後、松平(松井)氏3代を経て、1640年(寛永17)摂津高槻から岡部宣勝(のぶかつ)が入城、大規模な改修が行われた。以後、明治維新まで岡部氏が13代にわたって居城した。

 
 
 
 
6. 高野街道 (河内長野市街)
 

  高野街道とは、京都と高野山を結ぶ街道で、平安時代以降に参詣の道として利用されていた。  京都・八幡から洞ヶ峠を越えて、生駒西麓を通る東高野街道と、堺から始まる西高野街道などがあり、河内長野駅前辺りで、一本に合流し、紀見峠を越えて高野山に向かう。

 
 
 
 
28. 兵庫県の名所・旧跡
 

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29. 奈良県の名所・旧跡
 
 
 
 
 
1. 屯鶴峯(どんづるぼう)
 

 二上山の火山活動により火山岩屑が沈積し、その後の隆起によって凝灰岩が露出し、1500万年間の風化・浸食を経て奇岩群となった標高約150mの岩山。サヌカイトやザクロ石閃緑岩などの岩石が産出する。県天然記念物であり、金剛生駒紀泉国定公園の見所の一つである。

 
 
 
 
2. 今井千軒
 

 天文年間(1532~55)、本願寺の今井兵部によって建てられた称念寺が、今井町の起こりと言われています。農民などを門徒化し、ここを拠点に一向宗の布教を進めるためでした。後には、諸国の浪人や商人が集められ、町場を形成しました。このような町を寺内町と言います。
 世は戦国時代。野武士、盗賊、他宗派、大名などからの攻撃を避ける為に、周辺に濠と土居を巡らせ、僧侶や門徒を守るための武力が備えられました。見通しのきかない筋違いの道路や、九つの門跡がそれを物語っています。

 
 
 
 
3. 土佐(土佐街道)と「町家の雛めぐり」
 

 高取城の城下町。飛鳥時代、都造営のために連れて来られた土佐(現在の高知県)の人々が国に帰ることができず、故郷を懐かしんでつけた地名と伝えられている。

 
 
 
 
4. ならまち
 

 江戸時代から明治時代にかけての町屋が多く立ち並ぶ。「ならまち」という行政地名はなく、元興寺旧境内を中心とした地域を、このように呼んでいます。地域内には、奈良町資料館、奈良市ならまち格子の家、今西家書院、奈良市杉岡華邨書道美術館など魅力ある施設がたくさんあります。

 
 
 
 
5. 宇陀松山
 

 戦国時代に「宇陀三将」と称された秋山氏の本拠地・秋山城(宇陀松山城)の城下町としてはじまった。当時は「阿貴町」と呼ばれていたが、天正13年(1585年)に秋山氏が追放された後、豊臣家配下の大名によって、城の大改修と城下町の拡大整備が行われ、まちの名前も「松山町」となった。現在の宇陀松山地区は、その当時の「松山町」が基礎となっている。

 
 
 
 
30. 和歌山県の名所・旧跡
 

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以上。

 

 

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