奈良県の サイクリングコース
香具山(かぐやま)/ 天香久山(あまのかぐやま)
29-010 橿原神宮~石上神宮~大神神社~橿原神宮 約50km
「香久山・香具山」と表記されたり、「天香久山・ 天香具山(あまのかぐやま)」とも表記される。天の文字を冠する通り神聖な地とされ、天から降ってきた山との伝承が残る。
石上神宮から大神神社までは、山の辺の道を走り、竹内街道を経て耳成山と天香久山、そして畝傍山と大和三山を巡る。。
万葉歌碑
天皇登香具山望國之時御製歌
山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立 國見乎為者 國原波 煙立龍 海原波 加萬目立多都 怜𪫧國曽 蜻嶋 八間跡能國者
大和(やまと)には、群山(むらやま)あれど、とりよろふ、
天(あめ)の香具山(かぐやま)、登り立ち、国見(くにみ)をすれば、
国原(くにはら)は、煙(けぶり)立ち立つ、海原(うなはら)は、鴎(かまめ)立ち立つ、
うまし国ぞ、蜻蛉島(あきづしま)、大和の国は
万葉集 巻1-2 舒明天皇(じょめいてんのう)
名勝 大和三山 香具山
奈良盆地の南部に位置する、香具山(152.4m)、畝傍山(199.2m)、耳成山(139.7m)の三つの小高い山を総称し、大和三山と呼びます。香具山は桜井市の多武峰から北西に延びた尾根が侵食により切り離され小丘陵として残存したもので、畝傍山と耳成山は盆地から聳えるいわゆる死火山です。三つの山は古来、有力氏族の祖神など、この地方に住み着いた神々が鎮まる地として神聖視され、その山中や麓に天香山神社、畝火山口神社、耳成山口神社などが祀られてきました。まあ、皇宮造営の好適地ともされ、特に藤原京の造営に当たっては、東・西・北の三方にそれぞれ香具山・畝傍山・耳成山が位置する立地が、宮都を営むうえでの重要な条件にされたと考えられています。
大和三山を詠んだ和歌は多く、重要な歌枕として鑑賞上の地位を確立したほか、近世の地誌、案内記、紀行文などでも紹介され、万葉世界を代表する名所として、広く知れわたるようになりました。
香具山は伊予風土記逸文に「天から降ってきた」という伝承が残っており、「天の香具山」とも呼ばれます。万葉集において「天」という美称がつけられた山は香具山だけで、このことから多くの山の中でも特別な位置付けを持っていたと考えられます。
国常立神社
祭神は国常立命(天地開闢とともに現れた国土形成の神)。
俗に雨の竜王と称され、境内社として高おお神(竜王神)を祀る。向かって右側神殿の前に壷が埋められており、古来干天の時この神に雨乞いして壷の水をかえたが、まだ降雨のない節はこの社の灯明の火で松明をつくり、村中を火振して歩いたという。
末社に伊弉諾(いざなぎ)神社(祭神伊弉諾命)、伊弉冉(いざなみ)(伊弉冊)神社があり、天香久山の東山麓に鎮座する。
特別史跡 藤原宮跡
藤原京は、持統天皇8年(694)から和銅3年(710)まで、 持統・文武・元明天皇三代にわたる都でした。藤原宮はその 中心部にあり、現在の皇居と国会議事堂、および霞ヶ関の官庁街とを一か所に集めたようなところです。 大きさはおよそ900m四方、まわりを大垣(高い塀)と濠で囲み、各面に三か所ずつ門が開きます。 中には、天皇が住む内裏、政治や儀式をおこなう大極殿と朝堂院、そして役所の建物などが建ち並んでいました。
以上。
(2015.11.16)
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