奈良県のサイクリングロード
今井町
29-010 橿原神宮~石上神宮~大神神社~橿原神宮 約50km
天文年間(1532~55)、本願寺の今井兵部によって建てられた称念寺が、今井町の起こりと言われています。農民などを門徒化し、ここを拠点に一向宗の布教を進めるためでした。後には、諸国の浪人や商人が集められ、町場を形成しました。
このような町を寺内町と言います。
世は戦国時代。野武士、盗賊、他宗派、大名などからの攻撃を避ける為に、周辺に濠と土居を巡らせ、僧侶や門徒を守るための武力が備えられました。見通しのきかない筋違いの道路や、九つの門跡がそれを物語っています。
『今井千軒』と、戦国期にいわれた大和の商業都市が、ほぼ旧観を偲ばせる家並で残っているはずなのだが、・・・どの家も百年前後は経っているようで、ふと昔にまぎれこんだのではないかという錯覚さえ覚える。全てが瓦ぶきであるために室町末期とまではゆかなくても、江戸期に舞いもどったような感じを持つ場所がいくつもある。
この今井の環濠集落では、 時間はすべてゆるやかに流れているらしい。
・・・ 司馬遼太郎
かつて「大和の金は今井に七分」といわれるほど繁栄した今井町。 現在も町の大半の町家が大切に保存され、江戸時代の姿を残しています。
重要文化財 中橋家住宅
当家は称念寺東方斜め筋向かいの御堂筋北側に面する中規模な民家です。屋号は「米彦」米屋彦六といい、代々米屋を営んでいましたが、幕末には肥料、金物商も合わせて営んでいました。
称念寺の1748年(寛延元年)の古図にはこの地に屋敷を構えていますが、現在の建物は構造・手法から18世紀後半頃のものと考えられます。道路に面した側面は白壁、下部板壁となっています。内部は、西側を土間、東側は食い違い6間取りとなっています。土間の西南隅に内部を開放とした「しもみせ」とをとります。
当家はかなり進んだ時期の一般的持家層の好例といえましょう。また、正面上部に低い「つし2階」が後に増築されました。
浄土真宗本願寺派 稱念寺(今井御坊)
称念寺(しょうねんじ)は、奈良県橿原市今井町にある浄土真宗本願寺派の寺院。山号は今井山。本尊は阿弥陀如来。
今井御坊とも称される。大和五ヶ所御坊、十六大坊の1つで中本山に列する。
以上。
(2016.06.03/2007.02.12)
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