岸和田城と桜
27-035 岸和田城~牛滝・いよやかの郷~ほの字の里~二色浜
★「城と夜桜のコラボレーション」:提灯でライトアップ
例年の見頃:3月下旬 ~ 4月上旬
さくらの本数:約170本
岸和田城
安土桃山時代に豊臣秀吉の叔父小出秀政(ひでまさ)が5層の天守を築いた城。建武年間(1334~36年)頃、楠木正成(くすのきまさしげ)の一党和田高家(たかいえ)が現在の和田町あたりに築城したのが岸和田城の始まりといわれる。その後、和泉守護細川氏や守護代松浦氏など、城主がめまぐるしく交代した。その間に現在地に移されたが、天守閣もなく、館の周囲に塀や土塁をめぐらせただけの城館であった。1585年(天正13)、豊臣秀吉の叔父小出秀政が3万石で入封、秀政は本格的な築城にとりかかった。このとき5層の天守閣を築くなど、近世城郭として整備された。豊臣氏滅亡後、松平(松井)氏3代を経て、1640年(寛永17)摂津高槻から岡部宣勝(のぶかつ)が入城、大規模な改修が行われた。以後、明治維新まで岡部氏が13代にわたって居城した。
岸和田城庭園(八陣の庭)
昭和28年に日本の昭和期における代表的な庭園研究家であり作庭家でもあった重森三玲(しげもりみれい)氏によって、設計、作庭された。本庭園は、上・中・下3段の基壇の中央に、大将の石組みを配置し、これを中心に8つの石組みが円形に配置されている。中国三国志の英雄として名高い諸葛孔明(しょかつこうめい)の「八陣法」をイメージしたもので、これらの石組みは地上からは、360度どの角度からも鑑賞することができるようになっている。また本庭園は、岸和田城天守閣の最上階の眼下にあって、その全容を眺望することができ、これまでの水平方向の視点だけでなく、垂直方向に展開する多様な視点を意図した本庭園は独創的で、国内外で注目されてきた。
垣と溝の間や土手の斜面に設けられた細長い通路や平地部分。犬が通れるくらいの幅しかない道という意味合いから呼ばれる。
以上。
(2018.03.30)
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