街道をゆく『1-2. 竹内街道』その1
奈良県のサイクリングロード
29-010 橿原神宮~石上神宮~大神神社~橿原神宮 約50km
奈良県のサイクリングロード
29-010 橿原神宮~石上神宮~大神神社~橿原神宮 約50km
「神霊の宿るかのような景色だったであろう」と記された、古い地名の「布留(ふる)」から山の辺の道を走ってみることにした。
コース地図
橿原神宮まで輪行し、スタート&エンド。石上神宮から大神神社までは、山の辺の道を走り、竹内街道を経て耳成山と天香久山、そして畝傍山と大和三山を巡る。
以下、竹内峠を除外した『1-2. 竹内街道』の記録。
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司馬さんの旅の時期 1970年頃
紀行テーマ・地点・歴史
われわれは、「石上布留ノ森」という、崇神と称せられる古代王朝の兵器庫を出発点にし、まっすぐ南下して、崇神帝以前のミワ族の首都である三輪山に至った。そこから道すじは直角に折れ、西の葛城山にむかっている。この 」型の道路こそ、日本最古の官道といってよく、おそらく『日本書紀』にいう神武帝や崇神帝以前から存在したであろう 」型の|の南北道路の名は「山ノ辺ノ道」といったことはたしかだが、いま走りつつある ― の西ゆき道の名はなんとよばれていたかよくわからない。・・・ 司馬遼太郎
◆倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠(やまこも)れる 倭しうるはし・・・ 古事記中巻・景行天皇帝紀
◆石上(いそのかみ)、布留(ふる)の神杉(かむすぎ)、神(かむ)びにし、我(わ)れやさらさら、恋(こひ)にあひにける ・・・ 万葉集(10-1927) 作者不詳
◆崇神という古代三輪王朝 石上と三輪をつなぐ山辺道(やまのべのみち)・・・ 秋のハイキングには最高の道
古代の倭(やまと)王権について考える。
平城宮跡。
コースのポイントと標高差
29-010 橿原神宮~石上神宮~大神神社~橿原神宮 約50km。
橿原神宮をスタートするとすぐに今井町に入り、散策した後、飛鳥川の堤にある桜並木の大和中央自転車道を利用して天理に抜け、その後、山辺の道を辿るコース。山辺の道はハイキングコースであり、ロードバイクで走れる道ではなかった。
今井町
今井町。
飛鳥川の堤にある大和中央自転車道を利用して天理に抜ける
石上神宮
◆石上神宮。
神武天皇に捧げられた神剣「韴霊(ふつのみたま)」を御神体とする。
ルレーヴ
ルレーヴ。
ルレーヴで昼食の予定だったが貸し切りで入れず、ブロスーゴというイタリアンレストランまで戻り昼食。
ブロスーゴ
崇神天皇陵
◆崇神天皇:すじんてんのう。
第10代天皇
景行天皇陵
◆景行天皇:けいこうてんのう。
第12代天皇
大神神社
◆大神神社:おおみわじんじゃ。
三輪山を御神体とする古社
三輪山は、古来から「三諸山(みむろやま)」と呼ばれ、「うま酒みむろの山」と称される。「みむろ・・実醪」は、すなわち「酒のもと」の意味で、酒の神様としての信仰からの呼び名である。そのため毎年11月14日には、全国から蔵元・杜氏が集まり「醸造祈願祭(酒まつり)」が行われる。また、醸造祈願祭の後には全国の蔵元へ、杉玉が配られていく。
三輪山
◆三輪山。
倭青垣山ともいわれ、大和盆地におけるもっとも美しい独立丘陵である。秀麗で霊気を感ずる独立丘陵を、古代人は神南備山(かんなびやま)ととなえて、山そのものを神体としてまつった。縄文時代または弥生時代から、自然物崇拝の対象であったとされている 。
白玉屋榮壽
海柘榴市跡
◆仏教伝来の地:馬井手橋の袂にある。
安倍文殊院
◆安倍文殊院。
華厳宗の寺院で、本尊は文殊菩薩。開基は安倍倉梯麻呂。切戸文殊・亀岡文殊とともに日本三文殊に数えられる。
天香久山
◆天香久山:あめのかぐやま 大和三山の一つ。
耳成山
◆耳成山:みみなしやま 大和三山の一つ。
畝傍山
橿原神宮
起点・終点とした「橿原神宮」は、朝早くに参拝したので、人がおらずほぼ独占映像が得られた。
南神門。右わきの看板『紀元二千六百七十六年』。
内拝殿・回廊。
深田池。
◆橿原神宮。
『日本書紀』において、日本建国の地と記された橿原。
このコースの反省。
海柘榴市跡から耳成山まで、竹内街道に沿って走ってみようとしたが、観るべきところもなかった。下記は、安倍文殊院を含めたお薦めの代替コース。
街道をゆくの『1-2. 竹内街道』を、竹内峠を含めて一度に走り切るには無理があったので、その2 として竹内峠を越える『27-014 竹ノ内峠~当麻寺~ふたかみパーク當麻~穴虫峠 約25km』コースを別途走行した。
以上。
(2016.06.03)
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