大阪府のサイクリングコース
27-061 竹内街道(たけのうちかいどう)約 26㎞
司馬さんの街道をゆく『1-2. 竹内街道』は、奈良県側が中心になっているが、大阪府側の起点である【堺市の大小路交差点】から【奈良県葛城市の長尾神社】に至る 約26 km の『 現在の竹内街道 』を写真で記録しながら走ってみた。
大小路交差点 から 長尾神社 に至る『 竹内街道 』。
以下、写真で記録した『 現在の竹内街道 』の詳細。
コース地図
至る所に石碑や道標があり、分かり易く、且、走り易い道。
竹内街道(たけのうちかいどう)は、大阪府堺市から東へ向かい、二上山の南麓・竹内峠を越えて、奈良県葛城市の長尾神社付近に至る約26 kmの街道である。大和国と河内国を結んだ古代の幹線道路の一つで、日本最古の官道といわれる。
また、古市古墳群と百舌鳥古墳群のほぼ中央部を走る東西道路であり、2つの古墳群を繋ぐ道路であったとも考えられている。
古墳群を直線で結ぶと、竹内街道とほぼ重なる。
コースのポイントと標高差
1. 堺市:大小路交差点~西除川(西除橋)
アプローチは、大和川の大和橋を渡り「紀州街道」に入るコースをとった。
綾之町から阪堺電気軌道阪堺線が走る、大道筋に出る。
少し南下した所で、材木町通りとの交差点に出る。
さらに南下しザビエル公園を通り過ぎると、大小路通りとの交差点に出る。向いは、堺警察署。
交差点には、堺市内の案内板がある。
大小路通りの東方向を望む。右前にある、紀陽銀行の堺支店ビルが大きい。ここが「竹内街道」の起点。
振り向いて、大小路通りの西方向を望む。
大道筋を渡り、東に向かう。
阪神高速15号堺線の下、大小路橋交差点。
堺市役所前。
左手に、南海堺東駅がある。
堺東駅南口の信号を渡り右折。石碑がある。
少し南下した所で、左の脇道に入る。
堺区榎元町2丁8にある、榎宝篋印塔(えのきのほうきょういんとう)。
榎宝篋印塔(えのきのほうきょういんとう)
17世紀中頃に夢幻永海(むげんえいかい)という僧が勧進し建立。
花崗岩(かこうがん)製で高さ約4.39メートル、三重の基壇の上に据えられた基礎石には碑文が、塔身の四方には種子(しゅじ・梵字)が刻まれています。
竹内街道と西高野街道の分岐点に近い江戸時代の交通の要に立つ塔は、地域の人々の信仰対象だけでなく旅人や道中の無事を祈る人達の信仰を集めてきました。
左:竹ノ内街道、右:西高野街道の分岐点。 榎元町4丁-5-2。
竹内街道の石碑。榎元町4丁-1。
中央環状線に出る手前にある、竹内街道の石碑。榎元町6丁-6。
中央環状線に出る。
中央環状線の向陵交差点。
中央環状線の向陵中町交差点を右折して、左斜め前のR35に向かう。
向陵中町交差点の中にある、緑の一里塚:竹内街道の石碑。
向陵東町交差点を過ぎた辺りの、R35。
黒土みのんだ公園の横にある、竹内街道の案内板。
黒土みのんだ公園。
大阪市交通局中百舌鳥検車場の北側を行く。
R28との交差点。このR28の下を、地下鉄御堂筋線が走っている。
金岡町に入ると、突き当りに神社の鳥居が見える。
金岡神社。
金岡神社の南側、北堺警察署 金田交番横の竹内街道の石碑。
金岡神社を左にして、竹内街道は石畳になる。
竹内街道の石碑。金岡町大道町会館あたり。
R192との交差点に出る。
中央環状線の大泉緑地前に出る。
大泉緑地。
大泉緑地の南沿いを通り過ぎて、野遠町(のとうちょう)R31とR26の交差点。ここから少しの区間が、「下高野街道」の一部になっている。
堺北八下郵便局を過ぎたあたりにある、竹内街道の石碑。
西除橋(西除川)。
西除川。
2. 松原市:岡町(丹南北交差点)~ 立部(立部東交差点)
丹南北交差点=国道309号との交差点(岡町) 。
岡公園横の竹内街道の石碑。
松原南コミュニティセンターの角にある、竹内街道の看板。
(岡:この右側=南側は、丹南東交差点=中高野街道と交差)
岡4丁目にある、「竹内街道・中高野街道の寛政九年道標」。
竹内街道・中高野街道の寛政九年道標
立部西交差点に出る手前の、柏木住宅にある緑の一里塚と竹内街道の道標。
竹内街道と立部遺跡。
立部西交差点(大阪中央環状線との交点)。
3. 羽曳野市:野(新ヶ池)~上ノ太子駅前
野の新ヶ池北角にある、緑の一里塚と竹内街道の道標。
竹内街道と野村。
伊勢橋(東除川)。
伊勢橋を渡ったところから登りになり、登り切った所が、天仁病院前。
野中寺旧伽藍跡。
野中寺(やちゅうじ)。
野中寺 高野山真言宗の仏教寺院。山号は青龍山。本尊は薬師如来。創建は飛鳥時代。別名「中の太子」とも呼ばれ、太子町・叡福寺の「上の太子」、八尾市・大聖勝軍寺の「下の太子」とならぶ「河内三太子」のひとつ。
叡福寺の「上の太子」
大聖勝軍寺の「下の太子」
仁賢天皇陵(ボケ山古墳)入口付近 。
軽里1丁目交点と峰ヶ塚公園。
軽里北交差点(国道170号との交点)。
白鳥交差点(国道170号との交点)。
羽曳野市の白鳥交差点から葛城市の長尾交差点までの区間は(それ以東も)、国道166号に指定されている。
古市(ふるいち)駅のすぐ南 、 国道166号と近鉄南大阪線の踏切。
近鉄南大阪線の古市(ふるいち)駅の東側からの竹内街道。
古市駅の東側出口からすぐの白鳥神社。
白鳥神社入り口横に、竹内街道や古市古墳群の案内所がある。
古市六町蓑の辻会館角にある石碑。
石川に架かる橋【臥龍橋】。
『がりょうばし』と記されている。
駒ヶ谷駅前の「逢阪橋」に行くまでの、小さい公園にある緑の一里塚と竹内街道の道標。
近鉄南大阪線、駒ヶ谷駅。
駒ヶ谷駅前の「逢阪橋」を渡った所。
駒ヶ谷の集落内。このあたりの民家の門前には「竹内街道」と書かれた立派な灯篭が置かれている。
杜本神社。
杜本神社案内板。
杜本神社
祭神は、経津主神(ふつぬしかみ)と経津主姫神(ふつぬしひめかみ)の夫婦神で、平安時代初期には百済宿弥永継(くだらのすくねながつぐ)とその祖先の飛鳥戸氏を祭る神社であったといわれている。
月読橋。
月読橋の袂にある伊勢燈籠。
月読橋と伊勢燈籠の案内板。
月読橋と伊勢燈籠
伊勢参りが盛んになった江戸時代には、旅の費用を分担して代表が伊勢に参拝する伊勢講が村々でつくられました。この伊勢燈籠は文政五(1822)年に講の人々によって建てられたもので、村内の安全や竹ノ内街道を行き来する旅人の道中の無事への願いが込められています。
飛鳥川にかかる月読橋の名の由来ははっきりしたことがわかりませんが、江戸時代、駒ケ谷にあった金剛輪寺の住職で、古典や和歌に造詣の深い覚峰が名付けたという説があります。
月読橋からの飛鳥川、下流方面を望む。
月読橋から上流に少し行ったところにある、飛鳥川の歌碑。
飛鳥川の歌碑。
歌碑の内容。
あすか河 もみじ葉ながる 葛城の 山の秋風 吹きぞ しぬらし (人麿)
飛鳥川の歌碑
駒が谷の金剛輪寺の住職をしていた学僧の覚峰が、文化2年(1805)に建立したものである。
飛鳥川
古代大和政権の時代に、ふたつの飛鳥があって、河内の飛鳥は「近つ飛鳥」、明日香村の飛鳥は「遠つ飛鳥」と呼ばれており、飛鳥川も奈良県明日香村と河内(大阪府羽曳野市あたり)の2か所にある。
歌碑の前を流れる飛鳥川、上流方面。
月読橋を渡ってしばらく進むと、役行者錫杖水(えんのぎょうじゃしゃくじょうすい)の道しるべと地蔵菩薩像が、道の右手にある。役行者が錫杖で掘り当てた水があることを伝える道標。
役行者錫杖水の道しるべ地蔵菩薩像の説明板。
役行者錫杖水の道しるべ地蔵菩薩像
竹内街道と壺井道の分岐点には、役行者が錫杖で掘り当てた水であることを伝える道しるべが建てられています。壺井道を行けば、壺井、通法寺、上ノ太子(叡福寺)を経て金剛山に至るとあり、もとは鋳物職人で慈善事業に尽くした堺の神南辺隆光(かんなべりゅうこう:天保12年=1841年没)の造立によることが記されています。
壺井道。
近鉄南大阪線、上ノ太子駅。
上ノ太子駅の山手にある「飛鳥ワイン」蒸留所。
4. 南河内郡太子町:春日西交差点~竹内峠
近鉄南大阪線の踏切を渡り、上ノ太子駅の正面に出てみる。
上ノ太子駅の正面にある、竹内街道の説明板。
上ノ太子駅R166に戻った所の、上ノ太子駅前東交差点。上を、南阪奈道路が通っている。
春日西交差点。左に行くとR166、直進すると旧街道に入れる。
春日西交差点から風鼻橋東詰交差点までの旧街道。
旧街道に入ったところにある、妙見寺。
緑の一里塚。
緑の一里塚説明板。
緑の一里塚にある、太子町案内版。
緑の一里塚をでて、右折地点にも石碑がある。
六枚橋に出る。左に行くと六枚橋交差点。
R166の、六枚橋交差点。
R166から登った時の、六枚橋交差点。
元に戻り、旧街道の六枚橋を渡る。
すぐに、六枚橋東交差点に出る。ここを左側に行くと、旧街道が続く。
六枚橋東交差点から旧街道に入った所。
旧街道は、石畳と茶色の小石の舗装道路になっている。
三叉路に出る。ここを右に行くと R166 に出る。
太子町のマンホールの蓋には、「和を以て貴しと為す」と記されている。
文化財 旧山本家住宅に出る。
左側は、孝德天皇 大阪磯長陵入り口前の広場になっている。
右側にある、文化財 旧山本家住宅。
竹内街道歴史資料館への登り。
竹内街道歴史資料館。
風鼻橋東詰交差点。
道の駅 近つ飛鳥の里・太子。
道の駅 近つ飛鳥の里・太子を出たところから見る、風鼻橋東詰交差点。
二上山・万葉の森駐車場の土手に「竹の内峠」との刻印がある。
竹内峠、河内国と大和国の境界標識。
竹内峠。
竹内峠。
5. 葛城市:旧街道・竹内集落内~長尾神社
竹内峠の頂上を少し下った右手に、「鶯の関址」がある。
我おもふこころ もつきず行く春を 越さでもとめよ鴬の関
康資王母(やすすけおうのはは)作
同じ場所にある、竹内街道の石碑。
この向かいに、旧街道への入り口がある。
旧街道を葛城方面に下る。
旧街道。
旧街道から、R166への合流地点。
竹内峠を下ったところで右折し、竹内の集落に入る。
竹内峠を奈良県側に下った、竹内集落への入り口。
竹内集落の入り口にある標識。
旧街道・竹内集落内の道。
芭蕉旧跡。
綿弓塚 (わたゆみづか)。
綿弓塚 (わたゆみづか)。
竹内の集落から、R30に出た所。
此処の左が、R166の竹内交差点。
竹内交差点から竹内街道を振り返る。
元に戻って、集落内を下る。
葛城市立総合体育館前にある、緑の一里塚と竹内街道の道標。
竹内街道いまむかし。
長尾神社西角、竹内街道の石碑。
長尾神社への北沿い道。
長尾神社に到着。
長尾神社横の竹内街道。
長尾神社横にある竹内街道石碑。
長尾神社横の竹内街道の案内板。
長尾神社。
長尾神社前からは、「横大路」。
長尾交差点。
長尾の交差点横にある木戸池公園から葛城山をあおぐ:正面真ん中の窪んだ所が、竹内峠。
以上。
(2018.10.08)