東高野街道をロードバイクで辿る その5 富田林市中野町3丁目~河内長野まで

大阪府のサイクリングコース
27-062 東高野街道をロードバイクで辿る その5
富田林市中野町3丁目交差点~河内長野まで 約 10㎞
 
東高野街道の内、富田林市の国道170号線「中野町3丁目交差点」から、東高野街道・中高野街道・西高野街道が交わり、高野山へと向かう高野街道のスタート地点「河内長野駅前」までをロードバイクで辿り、街道の様子と旧跡を記録した。
 
「高野街道のモニュメント」
高野街道のモニュメント。
 

 

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東高野街道の全長と当コースの位置:その5
 
その5:国道170号線「中野町3丁目交差点」から「河内長野駅前」までの区間。

東高野街道の全長と当コースの位置

 
 
 
コース地図
 
富田林市の国道170号線「中野町3丁目交差点」から、東高野街道・中高野街道・西高野街道が交わり、高野山へと向かう高野街道のスタート地点「河内長野駅前」まで【27-062 東高野街道 その5 約 10㎞ 】コース地図。
 
 
 
 
 
1. 富田林市中野町~富田林市若松町
 
国道170号線の中野町3丁目交差点。旧道は左側の道に入っていく。
中野町3丁目交差点 旧道は左前へ入っている
 
富田林市中野町の住宅街を通る、東高野街道。
中野町の東高野街道
 
富田林市若松町にある分岐点。東高野街道は左側の道に入る。
若松町の分岐点。東高野街道は左側の道に入る。
 
大阪府道705号線との交差点に出る。信号を渡ると、富田林寺内町に入る。
大阪府道705号線との交差点に出る
 
 
 
2. 富田林寺内町
 
富田林寺内町を横断する、東高野街道。
富田林寺内町を横断する、東高野街道
 
東高野街道は、一里山口から入る。
一里山口から入る
 
すぐ右手に、「寺内町遊園」がある。
すぐ右手に、「寺内町遊園」がある
 
「寺内町遊園」の北東角に、寺内町の案内図がある。
「寺内町遊園」に、寺内町の案内図がある
 
亀ケ坂筋を進むと右手角に「佐藤家住宅」がある。
亀ケ坂筋を進むと右手角に「佐藤家住宅」がある
 
「佐藤家住宅」説明板。
「佐藤家住宅」説明板
 
堺町通りに入り、城之門筋との交点を左に入ると「興正寺別院」がある。
城之門筋との交点を左に入ると「興正寺別院」がある
 
「興正寺別院」説明板。
「興正寺別院」説明板
 
「興正寺別院」。
「興正寺別院」
 
城之門筋の様子。
城之門筋の様子
 
堺町通りの角にある「杉田家住宅」。
堺町通りの角にある「杉田家住宅」
 
「杉田家住宅」説明板。
「杉田家住宅」説明板
 
ここには「杉田醫院」の看板がかかっている。
ここには「杉田醫院」の看板がかかっている
 
富筋に入り東に進むと、左手に「仲村家住宅」がある。
富筋に入り東に進むと、左手に「仲村家住宅」がある
 
「仲村家住宅」説明板。
「仲村家住宅」説明板
 
右手には、「上野家住宅」の説明板がある。
右手には、「上野家住宅」の説明板がある
 
富筋の突き当り左手に、道標がある。
富筋の突き当り左手に、道標がある
 
道標の脇に、「町中 くわえきせる ひなわ火 無用」の説明板がある。
道標の脇に、「町中 くわえきせる ひなわ火 無用」の案内板がある
 

 町中 くわへきせる ひなわ火 無用

 この道標は、京都から高野山に通じる東高野街道の道しるべ として建てられたもので、刻字から宝暦 元年(一七五一)十一月の建立であることがわかります。室町時代の末期、石川の段丘上に建設された富田林寺内町は、江戸時代 を通じ、南河内随一の商業都市として発展し、東高野街道を通って多くの旅人が往き来しました。

 『くわへきせる』(注①)や『ひなわ火』(注②)は、当時の旅人が携帯した必需品の一つで、江戸時代の旅の風俗をよく表しています。

 道標 に刻まれた銘文 は、町の中での火の用心を呼びかけたものです。寺内町には、わら葺きの民家 が密集し、高台ゆえに水の便が悪く、町全体が火事の予防に細心の注意を払ってきました。この道標以外にも、北の一里山町や富山町には用心掘と呼ばれる防火用水の施設があり、町衆が共存共栄の精神で町を守ってきたことをうかがい知ることができます。

 寺内町には、今なお三〇棟余りの江戸時代の建物が残されています。大火が無く、古い町並みが残ったのも、一つにはこんな気づかいがあったからかも知れません。

 注① きせるとは、きざみタバコ を吸うための道具で、今でいうくわえタバコ のこと
 注② 竹・ひのきの皮の繊維を縄状にし、硝石を吸収させ火種 としたもの


                    富田林市教育委員会

引用元:「町中 くわえきせる ひなわ火 無用」の説明板
 
 
東高野街道は、富筋の突き当りを右手に下り、富田林高校の方面に向かう。
東高野街道は、富筋の突き当りを右手に下り、富田林高校の方面に向かう
 
参考:
 
 
 
3. 富田林市谷川町~河内長野駅前
 
富田林高校の正門前。
富田林高校の正門前
 
甲田1丁目。東高野街道はこの分岐を右側の道に進むべきだが、工事中だったので左側を行く。
甲田1丁目。東高野街道はこの分岐を右側の道に進むべきだが、工事中だったので左側を行く。
 
甲田2丁目で、すぐに合流。
甲田2丁目で、すぐに合流
 
近鉄長野線 川西駅からの道に合流する。
近鉄長野線 川西駅からの道に合流する
 
近鉄長野線 川西駅前交差点に出る。電柱には「東高野街道 直進」の看板が掛かっている。
近鉄長野線 川西駅前交差点に出る。電柱には「東高野街道 直進」の看板が掛かっている。
 
近鉄長野線 川西駅前で線路を潜る。
近鉄長野線 川西駅前で線路を潜る
 
住宅街を抜けると、国道309号線を渡る歩道橋に出る。東高野街道はここを右に進む。
住宅街を抜けると、国道309号線を渡る歩道橋に出る。東高野街道はここを右に進む
 
本来ならもう一つ西の信号を渡るべきだが、歩道橋で国道309号線を渡る。
歩道橋で、国道309号線を渡る
 
国道309号線。
国道309号線を渡る
 
歩道橋の名前。
本来ならもう一つ西の信号を渡るべきだが、「甲田?路橋」という歩道橋があった
 
富田林市錦織北1丁目辺り。直進する。
富田林市錦織北1丁目辺り。直進する。
 
富田林市錦織中1丁目で、少し広い道を斜め前に横切る。
富田林市錦織中1丁目で、少し広い道を斜め前に横切る
 
横断後の、富田林市錦織中1丁目の様子。
横断後の、富田林市錦織中1丁目の様子
 
富田林市錦織中1丁目の住宅街を行く。左前のビル手前にある電柱下に石碑があるが、ロードバイクで走っていると気づくのが難しい。
富田林市錦織中1丁目の住宅街を行く。左前のビル手前にある電柱下に石碑があるが、ロードバイクで走っていると気づくのが難しい。
 
電柱下の石碑。
電柱下の石碑
 
富田林市錦織中1丁目13の角に、「大峰登山満願碑」がある。
富田林市錦織中1丁目13の角に、「大峰登山満願碑」がある
 
錦織中1丁目には、「東高野街道」の案内板が多く立つ。
錦織中1丁目には、「東高野街道」の案内板が多く立つ
 
府道202号とぶつかる左手角に、文化11年の道標がある。
府道202号とぶつかる左手角に、文化11年の道標がある
 
道標を眺めて直進。
道標を眺めて直進
 
府道38号富田林泉大津線のカーブ地点に出る。本来なら左に進んで旧170号線に出るべきだが、府道38号富田林泉大津線を右に登る。
府道38号富田林泉大津線のカーブ地点に出る。本来なら左に進んで旧170号線に出るべきだが、府道38号富田林泉大津線を右に登る。
 
一つ目の信号をやり過ごす。
一つ目の信号をやり過ごす
 
次にある左折ポイントを、左に行く。
次にある左折ポイントを、左に行く
 
住宅街に降りた地点を左折する。
住宅街に降りた地点を左折する
 
森の中の狭い道を走る。
森の中の狭い道を走る
 
田園地帯に出る。ここは右折。
田園地帯に出る。ここは右折。
 
田圃を回り込むと、近鉄長野線に合流する。
田圃を回り込むと、近鉄長野線に合流する
 
ここで、近鉄長野線の踏切を渡ってくるのと同じ東高野街道に出る。
ここで、近鉄長野線の踏切を渡ってくるのと同じ東高野街道に出る
 
すぐに、「孝子地蔵」がある。
近鉄長野線に合流した地点に、「孝子地蔵」がある
 
「孝子(こうし)地蔵」説明板。
「孝子地蔵」説明板
 

 孝子(こうし)地蔵の由来
 この道は旧東高野街道であり、元文2年(1737)に建てられた碑であります。「左まきのを道」となり道標の一つですが、信仰心にもとづいて建てられたものです。
 昔、遠い国から西国巡礼に出かけた母子があり、母親は長旅の疲れでこの地でたおれ、娘は村人の手伝いをしながら介抱しましたが、母親は帰らぬ人となりました。村人は母を無縁墓に葬り娘をなぐさめました。そして幾年後、娘は再びこの地にきて世話になった村人に礼を述べ母の霊と道中でなくなった人を供養するため、村人と相談して一体の地蔵尊を祀った。その孝心をたたえて「孝子地蔵さん」と呼ばれるようになったとのことです。家に病人がでたり、子どもが夜泣きするとき、この地蔵さんにお参りするそうです。
   ー平成8年8月吉日 宮ヶ丘自治会・宮ヶ下自治会ー

引用元:「孝子(こうし)地蔵」説明板
 
 
暫く進むと、近鉄長野線の「汐ノ宮」駅方面から登ってくる広い道と交差する。
東高野街道を河内長野方面に向かっていると、近鉄長野線の「汐ノ宮」駅方面から登ってくる道と交差する
 
交差点を直進した所に、「百年邑」という築100年を越える古民家を改造したレストランがあり、ここでランチにする。
「百年邑」外観
 
参考:
 
河内長野市市町で左に下る。
河内長野市市町で左に下る
 
河内長野市向野町を左に曲がる。
河内長野市向野町を左に曲がる
 
東高野街道は、直進。
東高野街道は、直進
 
大阪府道20号と旧170号線の重複区間に出る。右の道路標識の奥に、明和の伊勢燈籠が立っている。
大阪府道20号と旧170号線の重複区間に出る。右の道路標識の奥に、明和の伊勢燈籠が立っている。
 
右前に、ファミリーマート 河内長野向野店がある信号を通過。
右前に、ファミリーマート 河内長野向野店がある信号を通過
 
信号を過ぎた地点で、左に入る。
信号を過ぎた地点で、左に入る
 
東高野街道は、近鉄長野線の踏切を越えて、線路沿いに進む。
東高野街道は、近鉄長野線の踏切を越えて、右に進む
 
「菊水町の交差点」に出る。
「菊水町の交差点」に出る
 
近鉄長野線と南海高野線の下を潜り、西に向かう。
近鉄長野線と南海高野線の下を潜り、西に向かう
 
突き当りに稲荷神社があり、左に進む。
突き当りに稲荷神社があり、左に進む
 
長野商店街のアーケードに出る。ここを左に進む。
長野商店街のアーケードに出る。ここを左に進む。
 
アーケードを抜けると、南海高野線の「河内長野駅前広場」が見える。
アーケードを抜けると、南海高野線の「河内長野駅前広場」が見える
 
東高野街道・中高野街道・西高野街道が交わり、高野山へと向かう高野街道のスタート地点「高野街道のモニュメント」に到着。
東高野街道・中高野街道・西高野街道が交わり、高野山へと向かう高野街道のスタート地点「高野街道のモニュメント」に到着
 
「高野街道のモニュメント」。
「高野街道のモニュメント」
 
「高野街道のモニュメント」横の石碑。北西:西高野街道、北東:東高野街道。
「高野街道のモニュメント」横の石碑
 
 
 
4. 東西の高野街道の合流と高野街道のスタート地点
 
石碑の全景。
石碑の全景
 
高野山へと続く街道。

 平安遷都後の延暦15年(796)に紀見峠越えの新しい道が開かれその後、弘仁7年(816)には、空海が高野山を開いたので、この街道はますます重要性を増し沿道の村々は発展しました。

 高野山に参る道には、初めは山城国(京都府)から洞ヶ峠を越えて、河内国(大阪府)に入り生駒山脈の西麓を南に下って、紀見峠から慈尊院につき、高野山町石道をのぼって大門へ通じる東高野街道が発達しました。その後、大坂からの街道は、平野から松原を経て河内長野に出る中高野街道と堺から狭山を経て河内長野に至る西高野街道が開け、江戸時代(1603~1867)には大変賑わいました。また江戸時代末には西高野街道には旅人の便宜をはかるために一里ごとに道標石が堺から高野山の女人堂まで13基建てられました。

 
 
「高野街道のモニュメント」を南に少し行くと、大きな「高野街道」の道標が建っている。
 
高野街道のスタート地点。
河内長野駅前からスタート地点へ
 
高野街道の入り口には「高野街道」と書かれた道標があり、その奥には「吉年(よどし)邸のくすのき」が見える。
高野街道の入り口には「高野街道」と書かれた道標があり、その奥には「吉年(よどし)邸のくすのき」が見える。
 
 
京都八幡の石清水八幡宮からスタートした「東高野街道をロードバイクで辿る」旅は、ここ大阪府河内長野で完結。この街道は、名所・旧跡があまりにも多く、ロードバイクで辿るより、電車を使った「歩き」でのゆっくり散策の方が、日数を要するが、向いているように思う。
 
 
参考:
 

 

以上。
(2020.10.21)

 

 

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