街道をゆく『7-1. 甲賀と伊賀のみち』
三重県のサイクリングロード
24-001 草津線 貴生川~近江グリーンロード~R138~伊賀上野 約42.6km
伊賀に入る入り口「伊賀七口」のうちのひとつである、御斎峠(おとぎとうげ 標高=570m)を走ってきた。
コース地図
このコースは、街道をゆくの『7-1. 甲賀と伊賀のみち』の前半分のコースで、司馬さんの経路は、伊賀上野から草津へのルートであるが、今回は、草津への途中にある紫香楽宮跡から、伊賀上野城に向かう逆コースを辿った。
以下、御斎峠の走行記録。
司馬さんの旅の時期 1973年春
紀行テーマ・地点・歴史
宿にとまって地図をながめているうちに、御斎峠(おとぎとうげ)という小さな活字が目に入った。 伊賀国は国ぜんたいが隠れ里のような観があり、この国へ入る峠は七つあるとされていた。・・・ 司馬遼太郎
『梟の城』の出発点である伊賀盆地を巡る。
◆伊賀上野城:天正13年(1585)、筒井定次が築城。藤堂高虎が大改修。
◆西高倉:伊賀市内から御斎峠へ至る道上にある集落。
◆廃補陀落寺跡:はいふだらくじ。町石。
◆御斎峠:伊賀に入る入り口「伊賀七口」のうちのひとつ。
◆多羅尾:伊賀市の御斎峠を越えて甲賀市に入って最初にある集落。
◆信楽:信楽焼の町。
◆紫香楽宮跡:天平時代の都の跡。
御斎峠は梟の城の舞台となった所で、峠の名前が気に入って、「梟の城」の最初の場面を御斎峠とした。
『梟の城』(ふくろうのしろ)は、司馬遼太郎の長編小説で、それまで新聞記者であった司馬が作家となる契機となった作品である。司馬が初期に多く手がけた忍者小説の一つで、直木賞(第42回)を受賞している。
「伊賀の天は、西涯(せいがい)を山城国境い笠置の峰が支え、北涯を近江国境いの御斎(おとぎ)峠がささえる。笠置に陽が入れば、きまって御斎峠の上に雲が湧いた」。
「(この)小盆地を、山城、伊勢、近江の四ヵ国の山がとりまき、七つの山越え道が、わずかに外界へ通じて」おり、それらの「京から発し琵琶湖東岸を通り、岐阜、駿河、小田原、鎌倉、江戸へ通じた交通路はそのまま日本史における権力争奪の往還路でもあった」
伊賀忍者・葛籠重蔵(つづらじゅうぞう)は隠遁生活を送っていた。仇としていた信長はすでにこの世の人ではなくなり、生きる希望を失っていたが、かつての師匠・下柘植次郎左衛門から、太閤秀吉暗殺の依頼を受ける。忍者としての生涯を華々しく終えることのみを考えていた重蔵は依頼を引き受け、秀吉暗殺に乗り出す。
堺の豪商・今井宗久のもとへ向かう途中、小萩という、宗久の養女が現れ、二人は通じ、密かに愛し合うようになる。だが、彼女は重蔵を見張る役目を持ったくノ一だった。重蔵は木さる、黒阿弥らとともに、伊賀を裏切った風間五平らと対決し、秀吉の居城伏見城へ潜入する。
コースのポイントと標高差
24-001 草津線 貴生川~近江グリーンロード~伊賀上野 約42.6km。
天気晴朗なれど、北風強し。
御斎峠:【平均斜度 6.9%】関西ヒルクライムTT 峠の難易度:C。
JR伊賀上野駅から草津線貴生川駅まで輪行
車で、伊賀上野駅のすぐ横にある市営の駐車場まで行く。
伊賀上野駅までは、西名阪経由で1時間と少し、 割と早く着く。
JR伊賀上野駅から草津線貴生川駅まで輪行。 運賃¥500。
電子マネー使えず、切符購入。
早朝のJR伊賀上野駅。

伊賀上野駅3番ホーム。亀山方面。乗客、おじさん一人に、女子高生二人のみ。

先に、2番ホームから大阪方面への列車が出発。乗客多し。

8時14分発。亀山方面車窓からの風景。休日にも拘らず、車内は学生の登校者が多い。

途中柘植駅で草津線に乗り換える。

途中の『甲賀』。KOUGA ではなく KOUKA と読む。違和感あり。

貴生川駅
貴生川駅に到着。8時54分。伊賀上野駅から約40分。

天気のいい日だったが、北風が少し冷たく、駅前にあるJAの建物前でバイクを組み立てる。9時30分頃出発。

近江グリーンロード(R307)を走る
杣川を渡り近江グリーンロード(R307)に出る。

新名神と並行した登り道をゆく。風が正面から吹きつけるので辛い。
新名神の下をくぐった辺りに、細い砂利道の紫香楽宮跡へ抜ける道がありここを右折してゆくと、北入口に出た。

紫香楽宮跡
裏口から紫香楽宮跡へ入る。

砂利道で、ピンディングシューズで歩くのが辛い。

紫香楽宮跡。

紫香楽宮跡。

紫香楽宮跡。

紫香楽宮跡。

紫香楽宮跡。

紫香楽宮跡。

紫香楽宮跡。

紫香楽宮跡。

紫香楽宮跡(しがらきのみやあと)。
聖武天皇が天平17年(745年)に遷都したとされてきたが、その後の調査で、この遺跡の北にある甲賀市信楽町宮町の遺跡が実際の紫香楽宮跡とみなされるようになり、黄瀬・牧にある遺跡は東大寺に先駆けて紫香楽宮で大仏建立を行った、甲賀寺の跡であると推測されると書かれている。
紫香楽宮跡正面に抜け出た。

信楽
R307に戻り南南西に向かう。近江グリーンロード(R307)は、道の両側に信楽焼きの窯元や陶芸館が多数連なっており、とても賑やかな道である。

R138に入り御伽峠に向かう
R307を離れてR138に入ると風景は一変し、のどかな雰囲気となる。

・・・

こののどかさ・・・と、丸い雲・・・小さい秋か。(この雲は、ホールパンチ雲ではなかろうか)

天満宮という村の神社。秋祭りは終わったのか。

清光寺という村のお寺。浄土宗。階段に趣がある。

信楽町小川と書かれている。徳川家康が逃げ込んだ辺りか、勾配がさらにきつくなる。

一旦登りが終わり、下りに差し掛かったので、昼食を取る事にした。11時30分頃、コンビニで買った弁当を食べる。

デイリー信楽カントリー倶楽部。

R334との交差点に出る。

多羅尾
多羅尾は天空の郷らしい。御斎峠の手前にある甲賀市の集落。

御斎峠はまだかと、電柱の標識を見上げる。全て、オトギと書かれている。

・・・人里離れた所に神社があるのか?。
高宮神社(たかみやじんじゃ)。
甲賀の里の山奥に鎮座する古社。伝説によると創建は垂仁天皇の時代とされている。天照大神の御霊(三種の神器)を、あらためてまつる場所を探して垂仁天皇の皇女・倭姫命が旅をしたおり、この地に四年間日雲の宮に御霊を祀り、そののち伊勢にその地を定め伊勢神宮を建立したとのこと。その後、里人が願って、大神の分霊を祀ったのが今の高宮神社であると伝えられる。
・・・

多羅尾御斎峠の杜と・・・書かれていたのに。

中々、峠に辿り着かない。

徳川家康伊賀越の道:徳川家康が本能寺の変の日の翌晩、伊賀者に案内されて危機一髪逃げ延びた間道として有名。

◆家康は、なぜ逃げたのか。
明智光秀の軍や混乱に乗じた落ち武者狩りなどとの遭遇を回避するため、堺(大阪府堺市)見物後の滞在先であった河内国四條畷(大阪府四條畷市)からわずかな供を連れて、近江国甲賀小川村に辿り着いた。その後、伊賀国の険しい山道を経て、海路で領国の三河国へ戻り、岡崎城へ帰還したそうだ。
信楽温泉・多羅尾ノ湯。天然温泉らしい。

タラオカントリークラブ。

御斎峠
やっと、御斎峠の頂に到着。標識には、標高:630m と書かれている。

滋賀県甲賀市信楽町と三重県伊賀市の県境の標識。

標高差断面図:貴生川駅からここまで、やっとの思いで登ってきが、今度は、落ちるように下る。

逆方向の、伊賀上野側から登ると激坂。途中、二人のヒルクライマー(坂バカ)に出会った。
「切り通し 多羅尾寒風 押し通る」山口誓子の句碑。
眼下に広がる伊賀盆地。

少し下って眺める伊賀盆地。

御斎峠跡と書かれている、石碑がある。

五十八寸伝承地。ツチノコが出たそうだ。

「高倉補陀落保勝案内」という看板。
案内板の内容。
ここ大杉谷は、昔より生活に深くかかわりのある処です。東大寺造営の折、用材がこの奥より搬出されました。下って鎌倉時代には、高倉社の別当補陀落寺建立され参拝者の道しるべとして奈良街道より「町石」が置かれ、熊野信仰が引越してきた感があると伝えています。補陀落滝も「那智・不動・首落の滝」などの呼び名があり源義経がこの滝の名を忌み御斎峠越を避けたと源平盛衰記に記されています。
大杉谷。

西高倉
高倉神社 一の鳥居。

◆補陀落寺(ふだらくじ)。
伊賀市の西高倉にある高倉神社から約800m上の水上山に、インドの南海岸にあると信じられた観音浄土・補陀落山への信仰から、補陀落寺が建てられた(現在は廃寺)。
◆廃補陀落寺(はいふだらくじ)町石。
補陀落寺の門前から1町(約109m)ごとに配置された、補陀落寺への『道しるべ』の石。
九丁石。

九丁石。

番屋の辻。

伊賀市西高倉地区の風景。

十二丁石。

十三丁石。

「史跡廃補陀落寺町石」と書かれている石碑。
JR伊賀上野駅から西北に向かい、御斎峠まで続く道は、「和銅の道」と呼ばれるハイキングコース。

西高倉地区から岩倉地区を経て、上野公園に向かう
この後、西高倉地区から、そのまま岩倉地区の古い・狭い街並みを散策。

岩倉地区。

上野岩倉郵便局。

岩倉地区。

木津川(服部川)を渡り、上野公園に向かう。

上野運動公園方面を望む。

伊賀上野城
伊賀上野城。

◆伊賀上野城。
天正13年(1585)、筒井定次が築城。藤堂高虎が大改修を行った。
伊賀上野城。

JR伊賀上野駅
伊賀上野駅に帰ってきた。走行距離 43.4km。

駅の横にある、市営 伊賀上野駅 駐車場。駐車料金 ¥500。

駐車場裏の、伊賀鉄道 伊賀線(いがせん)。伊賀上野駅から伊賀神戸駅までを結ぶ。

本日のアクティビティ。
走行距離:43.42 km、走行時間:3:16:30、上昇高度:720 m
以上。
(2016.11.03)