奈良県のサイクリングコース
29-032 馬見丘陵公園~大和郡山城 周遊 約32km
29-032 馬見丘陵公園~大和郡山城 周遊 約32km
この日の朝は、雨がぱらついていたが思い切って出かける。走り始める頃は曇りだが雨が降る様子はなく、丁度良い気温で問題なし。午後からは日差しが出て暑くなった。
コース地図
馬見丘陵公園まで車で行き、スタート & エンド。
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車で、馬見丘陵公園の中央口の駐車場まで行き、ここからR132にでて大和川を渡り、富雄川の左岸(R108)から R9を経て大和郡山城に行く。その後、城下町を散策した後、田んぼが養殖池になった金魚が泳ぐ田園地帯を巡り、 佐保川の右岸に出て、南下して馬見丘陵公園に帰着。
このコースの反省点。
①.馬見丘陵公園は、中央口ではなく、北口の駐車場を利用すべきだった。
②.佐保川の堤防は至る所で通行止めになっており、一般道を選択すべきだった。
①.馬見丘陵公園は、中央口ではなく、北口の駐車場を利用すべきだった。
②.佐保川の堤防は至る所で通行止めになっており、一般道を選択すべきだった。

季節に合わせた花々が楽しめるようになっており、なかでも夏のヒマワリ約10万本が有名。園内は広大で歩くのがしんどいぐらいだが、自転車の乗り入れは禁止されている。
郡山城内にある柳澤神社
郡山城跡 : 秀吉の実弟羽柴秀長の居城
天正8年(1580)に筒井順慶が築城。天正13年(1585)に豊臣秀長が入部した折、多武峰の桜を移植した。その後、享保9年(1724)に柳沢吉里(やなぎさわよしさと)が入城してからは、桜樹の補植を行い、美を競うようになり「御殿桜」と呼ばれるようになった。明治になり城郭が取り払われ、柳澤神社建立の際、周辺に桜を補植、かがり火を焚いたのが夜桜の始まりといわれる。明治44年(1911)新たに3000本の桜を植栽した折、電灯に変わった(現在は約1000本)。
天正8年(1580)に筒井順慶が築城。天正13年(1585)に豊臣秀長が入部した折、多武峰の桜を移植した。その後、享保9年(1724)に柳沢吉里(やなぎさわよしさと)が入城してからは、桜樹の補植を行い、美を競うようになり「御殿桜」と呼ばれるようになった。明治になり城郭が取り払われ、柳澤神社建立の際、周辺に桜を補植、かがり火を焚いたのが夜桜の始まりといわれる。明治44年(1911)新たに3000本の桜を植栽した折、電灯に変わった(現在は約1000本)。
この日は、天守台整備工事のため平成29年(2017)3月頃まで天守台周辺は立入禁止となっていた。
来年の桜が咲く頃までには終わるようで、又、桜を見に来てみたい。
来年の桜が咲く頃までには終わるようで、又、桜を見に来てみたい。
城内から、柳 里恭(りゅうりきょう)=柳沢淇園(やなぎさわ きえん)の屋敷跡を辿り再びR9に出て、 French & Italian Restaurant SUENAMI でフレンチの昼食を頂く。
この後、城下町を巡る。
菊屋治兵衛(きくやじへい)が豊臣秀吉の弟、豊臣秀長に連れられ大和の国に来て、秀吉公をもてなすお茶会のために、粒餡を餅で包み、きな粉をまぶしましたひとくちサイズの餅菓子を作った。
柳町通り
紺屋川
土産物屋
紺屋川
金魚が泳ぐ
金魚が泳ぐ
紺屋町から北へ
光慶寺
外堀緑地公園
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ここは自転車の乗り入れが禁止されていた。
金魚が泳ぐ電話BOX
養殖池
北口の駐車場前にある、カフェ プリュス エフでイタリアン・ジェラートを食べながら一服し、サルビアの花を少し見てから帰宅。
以上。
(2016.09.16)
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