京都府相楽郡和束町
26-018 和束・茶畑ライド 約 24㎞
2. 茶畑の景観 その-1:撰原(えりはら)の茶畑
3. 茶畑の景観 その-2:石寺の茶畑(京都府の景観資産第1号)
4. 石寺エリアから恭仁宮跡に向かう
5. 美しく・のどかな里山の景観
6. 恭仁宮大極殿跡 (山城国分寺金堂跡)
7. 府道5号線を経由して和束に戻る
8. 和束川の東側、山ねきを北へ向かう
9. 原山地区に入る
10. 茶畑の景観 その-3:原山の円形茶園
11. 食事処:茶房 竹の子
1. 起点・終点の「和束茶カフェ」
「和束茶カフェ」の正面。バイクラックあり、トイレ有で、拠点にもってこいの場所。
和束茶カフェ
和束町に来るならまずここ!こだわりの和束茶はもちろん、天空カフェやレンタサイクルの受付、MAPなども揃い、観光案内の拠点となっています。・・・とのこと。
2. 茶畑の景観 その-1:撰原(えりはら)の茶畑
安積親王陵墓へ至る道沿いの、白栖(しらす)の茶畑と、向こうに臨む、撰原(えりはら)の茶畑。
和束町の茶畑は、川沿いから見上げるだけでは想像がつかないほど、急傾斜の山の上にも広がります。
この地域では傾斜に合わせ、パッチワークのように繊細に畝が巡らされ、まさに「山畑」と言えます。
3. 茶畑の景観 その-2:石寺の茶畑(京都府の景観資産第1号)
春、和束の町は西から東へと順に暖かくなり、西に位置するこの地域は「早場(はやば)」と呼ばれ、4月下旬には早くも茶摘みが始まります。近代的な農園整備がなされ、空まで続く茶畑がみられます。
京都府の景観資産第1号:石寺の茶畑。
白い道が茶畑の中央を縫うように登り、見上げると山の上まで茶畑が続く。この景観は、見事という他無し。
4. 石寺エリアから恭仁宮跡に向かう
竹谷酒店に到着。ここを左折すれば平坦な路になるかと願いつつ・・・。
やっと緩やかな坂道になり、道にまでせり出した茶畑の裾を行く。
5. 美しく・のどかな里山の景観
青い空、田植えの終わった水田、きれいな水、礼儀正しい親切な人々。
この辺りには、和束川に向け、周りの山々から流れ出る小さな川があり、清流が流れていた。
茶摘みの機械に遭遇。落合刃物工業『乗用摘採機』TFC-8 ななこ。
この辺りは、隅々まで手入れが行き届いた清潔感が漂い、この地の人々が「几帳面」に生きている感がする。
6. 恭仁宮大極殿跡 (山城国分寺金堂跡)
恭仁京(くにきょう)木津川市観光ガイドより転載
天平12年(740)10月、聖武天皇は平城京を離れ、伊賀、伊勢、美濃、近江などを行幸して、同年12月、恭仁宮(現、木津川市加茂町)に入り遷都を宣言しました。その後、天平16年(744)2月に難波宮への遷都が行われ、翌天平17年(745)5月には再び平城の地へ都が戻りました。
恭仁京の都としての期間は足掛け5年と短いものでしたが、その間、天平13年(741)には国分寺・国分尼寺建立の詔、天平15年(743)には大仏造立の詔、墾田永年私財法の発布があり、歴史上極めて重要な時期であったといえます。
7. 府道5号線(木津信楽線)を経由して和束に戻る
8. 和束川の東側、山ねきを北へ向かう
9. 原山地区に入る
10. 茶畑の景観 その-3:原山の円形茶園
和束町に初めてお茶の木が植えられたのは鎌倉時代、原山と伝わります。
数ある茶産地の中で、収穫と手入れのために一年を通して最も多くの鋏を入れる和束の茶畑は、ときに芸術的な光景を見せてくれます。
原山の円形茶園。茶葉が摘み取られた後で、茎が茶色く見える。新茶・一番茶が摘まれる前に訪れれば、もっと美しい景観だったろうに。
11. 食事処:茶房 竹の子
茶そばとカルビ丼を頂いたが、とても良心的な値段(安い)で、且つ、美味しかった。
~まるで茶畑~ 茶源郷濃茶氷。2人でシェアするに十分な量だった。
美味しい和束茶が生まれるのは、すがすがしい冷涼な空気と昼夜間の温度差が大きいことが要因と言われています。和束には中心を流れる和束川と豊な森林があり、霧が立ちやすく、この霧が茶葉をやさしく包み、自然が遮光を助けてお茶の旨味を引き出すのです。
茶畑を見て回るには、徒歩では距離がありすぎる。自転車にもってこいのコースだが、結構なアップダウンがあり、一部は押し歩きになった。
以前は茶畑なぞに興味はなく、ただひたすらヒルクライムを愉しむために、この辺りに坂を求めて訪れたものだが、歳月がこんなにも体力を奪うものか・・・トホホ。
以上。
(2019.06.06)
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