大阪府のサイクリングコース
27-000 南河内サイクルライン
御祭神
・菅原道真公(学問の神様)
・天穂日命 あめのほひのみこと(天照大神の御子様)
・覚寿尼 かくじゅに公(道真公のおば様)
創建:伝・垂仁天皇32年
札所等:神仏霊場巡拝の道58番(大阪17番)
例祭:梅花祭(2月25日)
平安時代、土師寺には菅原道真公のおばに当たる覚寿尼公が住んでおり、道真公も時々この寺を訪れ、この寺のことを「故郷」と詠んだ詩もある。延喜元年(901年)、大宰府に左遷される途中にも立ち寄って、覚寿尼公との別れを惜しんだ。
道明寺天満宮
菅原道真公ゆかりの神社で、古墳造営など土木技術に長じた土師氏の氏神として成立したものと考えられる。古くは土師神社と称し、菅原道真公・天穂日命・菅公の叔母覚寿尼を祭神としている。菅公の遺品として銀装革帯(ベルト)や青白磁円硯など平安時代の美術工芸の代表作が伝えられており、国宝に指定されている。
広い境内には、約80種800本の梅林があり梅の名所として知られるほか、三ツ塚古墳周濠より出土した修羅の復元品がある。
建碑の由来
日本書紀ニ拠レバ第十一代垂仁天皇ノ御宇菅公の祖野
見宿祢土偶ヲ以テ殉死ニ代ヘント進言シ大ニ嘉賞セラ
レ其ノ功ニヨリ土部職ニ任ジ因テ本姓ヲ改メ土部臣ト
謂ヒ鍛地ヲ賜フ土部郷即チ之ナリ江談抄ニ所謂土部氏
ノ本邑ニシテ土偶即チ埴輪ヲ作リシ窯跡ナレバ我国陶
業発祥ノ地トシテ由緒ノ所也時ニ大東亜戦一周年ニ際
会シ其建設事業モ着々進捗発展ヲ遂ゲントスルノ秋我
等組合有志相詢リ此碑ヲ建立シ以テ先人ノ遺跡ヲ永
後昆ニ垂レントスト云爾 組長 欅田藤郎誌
道明寺天満宮 由緒
垂仁天皇の32年(西暦3)、野見宿祢(のみのすくね)が、埴輪を創り殉死に代えた功績により、「 土師(はじ) 」の姓とこの辺り一帯を所領地として賜わって以来、遠祖天穂日命をお祀りし、土師神社と称した。
推古天皇2年(594)には、聖徳太子の発願により、土師八嶋が自宅を喜捨し土師寺を建立。
土師氏は「菅原」へと改姓し、菅原氏の氏神となり、菅原道真公のおば様である覚寿尼公が住まいとしたので、道真公は当地を度々訪問される。
昌泰4年/延喜元年(901)道真公筑紫へ下向の時、
世につれて浪速入江もにごるなり
道明らけき寺ぞこひしき
と詠まれ、道明寺へ訪問されるも、鶏鳴により出発することとなり、
鳴けばこそ別れも憂けれ鶏の音の
なからん里の暁もかな
との御歌を残されて西海に赴かれた。
その後、天暦元(947)に残し置かれた木像を北丘にお祀りし、ご遺品をご神宝として安置し、天満宮を創建、土師神社を道明寺天満宮と改めた。
明治5年(1872)、神仏分界により、尼寺は西に移転し現在に至る。
入社当時、独身寮が玉手山にあり、通勤に利用していたことがある。
以上。
(2015.09.25)
スポンサー リンク