26-030 伏見稲荷周辺周回 約 25.7㎞
26-030 伏見稲荷周辺周回 約 25.7㎞。
2. 伏見桃山城
3. 深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)
4. 伏見稲荷大社
5. 伏見稲荷から東福寺へ向かう
6. 臨済宗大本山 東福寺
7. 蓮華王院 三十三間堂
8. 京都国立博物館前を通り東山七条交差点へ
9. 随心院:小野小町ゆかりの寺
10. 醍醐寺:世界遺産
11. 宇治川へ出て観月橋へ
京都市の南部に位置する伏見区(ふしみく)。伏見は東山から連なる丘陵の最南端に位置し、稲荷神社の総本山の伏見稲荷大社の門前町であり、同じく天正時代に伏見城の城下町としても栄えた。
1931年に京都市に編入されて以後は、周囲の市街地化が進み、「京都の郊外」という色も濃くなっており、 特に、東福寺界隈には住んでみたいと思わせる風情がある。伏見以外にも、城下町として栄えた淀や、醍醐寺が建つ醍醐などの地区が区内に含まれる。
伏見桃山城
豊臣秀吉の時代、伏見城の一帯は桃の花畑として開墾されたため桃山と呼ばれていた。このため、伏見城を桃山城とも呼ぶ。
元は、伏見桃山城キャッスルランドと呼ばれる近鉄グループの遊園地だった跡地が、京都市により伏見桃山城運動公園として整備され、解体予定だった模擬天守が地元の要望もあり残さた。
第89代 後深草天皇(ごふかくさてんのう)陵。
「深草十二帝陵」とも呼ばれ、鎌倉時代の第89代後深草天皇、第92代伏見天皇、 第93代後伏見天皇、南北朝時代の北朝・第4代後光厳天皇、北朝・第5代後円融天皇、 北朝6代で第100代後小松天皇、以下、室町時代~桃山時代にかけての第101代称光天皇、 第103代後土御門、第104代後柏原天皇、第105代後奈良天皇、 第106代正親町天皇、第107代後陽成天皇の合計12人の天皇と、 初代伏見宮の栄仁親王(北朝第3代崇光天皇の皇子)を合葬した陵墓。
秦氏の祖先である伊呂具秦公(いろぐのはたのきみ)の家は、たいそう裕福であった。伊呂具が餅を的にして矢を射ったところ、その餅は白鳥になって飛び去り、山頂に降り立った。 すると不思議なことに、その地に「伊弥奈利(いねなり)」すなわち稲が生えてきた。稲生り(いねなり)が転じて「イナリ」となり「稲荷」の字が宛てられた。
宗派 :臨済宗東福寺派
寺格 :大本山、京都五山四位
本尊 :釈迦如来
創建年 :嘉禎2年(1236年)
開基 :円爾 九条道家
三門
東山三十六峰『慧日山(えにちさん)』の麓に聳える国宝『三門』。一般的には『山門』と表記され、寺域の入り口(境)を指す。しかし、東福寺では、『三つの門:三門』と表記されている。この意味は、『三解脱門』の略で、涅槃に達するための通らねばならない門とされる。三つの門は、『空門(くうもん)』『無相門(むそうもん)』『無作門(むさもん)』である。・・・案内板の記述より。
宗派 :天台宗
本尊 :千手観音
創建年 :長寛2年(1165年)
開基 :後白河天皇
三十三間堂の南側にあたる長い縁側は、吉川英治の『宮本武蔵』で、武蔵と吉岡伝七郎が決闘する場所として有名だが、小説の中での話らしい。
その後、山越えの醍醐道を通り、南の醍醐寺へ向かう。
小野流の開祖として知られる仁海の開基。 本尊は如意輪観音。寺紋は九条藤。 当寺の位置する小野地区は、小野氏の根拠地とされ、 随心院は小野小町ゆかりの寺としても知られる。
宗派 :真言宗醍醐派
寺格 :総本山
本尊 :薬師如来(重要文化財)
創建年 :貞観16年(874年)
開基 :聖宝
4月第2日曜日には、豊臣秀吉が催した「醍醐の花見」にちなんだ「豊太閤花見行列」が華麗な桃山絵巻を繰り広げる。
桜の時期は過ぎており、もう少し早くに来ておれば、”醍醐の桜”はさぞかし見事であったろうと・・・感じられた。
以上。
(2016.04.15)
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