大阪府のサイクリングコース
27-015 長居公園から平野郷 約 37㎞
山号:大源山
宗派:融通念仏宗
本尊:十一尊天得如来
創建年:大治2年(1127年)
開基:鳥羽上皇(勅願)
大源山諸仏護念院と号し、俗に「平野の大念仏」とよばれる。
古くは亀鉦寺ともよばれた。
融通念仏宗総本山。山号は、諸仏護念院大源山。比叡山の天台宗の僧の良忍が、大治2年(1127年)鳥羽上皇の勅願により開創した、日本最初の念仏道場である。本尊は十一尊天得如来(絵像)。「十一尊天得如来」とは融通念仏宗特有の呼称で、阿弥陀如来と十菩薩の絵像である。
春風や順礼共がねり供養
一茶 三十三歳の寛政七年三月八日、讃岐観音寺を発った一茶は、丸亀から瀬戸内海を倉敷・下津井へ出、赤穂・姫路・高砂を経て十八日大坂の黄華庵升六宅に着いた。
二十七日天王寺を詣り吟行しながら平野を経て藤井寺(葛井寺:ふじいでら)・誉田八幡(誉田八幡宮:こんだはちまんぐう)へ向かった。
この時大念佛寺を詣でた際に詠んだ句である。
平成十年中祖法明上人六百五十回忌記念事業としてこの碑を建立す。
説明用の石碑
聖聚来迎会と阿弥陀経万部会が融合された融通念佛宗総本山大念佛寺最大の伝統行事の通称名。
聖聚来迎会は無量寿経の中の「その人、寿(いのち)が終わる時にあたって、私は極楽浄土から二十五菩薩を従えて、その人を迎えに来るであろう」という阿弥陀仏の願いを具体的に表現した儀式であり、貞和五年(1349)3月15日「観音様の蓮台に乗り、阿弥陀如来のお導きに従って、生身のまま往生の本懐を遂げるまでの儀式を営んでみたい。聖聚来迎の様相を実際にこの眼で見、また世の多くの人々にも見ていただきたいものだ」と中祖法明上人自ら行者となり、臨終不退、一念往生、上品上生を遂げるまでの法明上人の堅固な意思により始まったことを起源としています。
「阿弥陀経万部会」は江戸時代第四十九世尭海上人の頃、「阿弥陀経を一万部読誦して、極楽往生と檀信徒の先祖供養」を願いとしてはじめられました。
聖應大師良忍上人略伝
上人は平安時代の終わり頃、延久四年(1072年)尾州知多郡富田荘(現東海市)の領主藤原秦氏の家に生れ、12歳で比叡山に登り出家した。
大いに修行に努めて天台密教の学問を深め、若くしてその学徳は一山に重きをなした。
23歳のとき、真の仏道を求めんと、意を決して山を下り洛北大原に移った。 一日六万遍の念仏を唱え苦行を重ね、法華経等あらゆる経典を読破書写し、来迎院を開創し、浄蓮華院等を復活建立した。
上人は生来、美声と音楽才能にめぐまれ、声明(仏教音楽)に励み、当時伝えられていた諸流諸派を統一大成し、声明中興の祖と仰がれている。
永久五年(1117年)46歳の5月15日、正午三昧中に阿弥陀如来より速得往生の道・口称融通念の偈文を授かった。 この時をもって本宗の開宗と定めいる。
上人は鳥羽上皇のあつい帰依を受け、上皇下賜の勧進帳と鏡鉦を奉持し、宮中をはじめとして諸国を行脚し、融通念を弘めた。
四天王寺に錫をとどめていた時、聖徳太子の霊告を蒙り、大治二年(1127年)摂津平野に根本道場として大念仏寺を創建した。
安永二年(1773年)後桃園天皇より「聖應大師」の大師号を授与された。
以上。
(2018.02.16)
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