街道をゆく『12-1. 五条・大塔村』
奈良県のサイクリングロード
29-017 R168大塔~R49~川合~R53~R168大塔 約50km
奈良県のサイクリングロード
29-017 R168大塔~R49~川合~R53~R168大塔 約50km
「十津川にゆくには、まず大塔村(おおとうむら)に入ればいい」河内長野からR310で金剛トンネルを抜けまず五條に入る。 その後、R168を南下し天辻峠を超えて大塔村に至る。
コース地図
『道の駅吉野路 大塔』まで車で行き、起点・終点とするコース。
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司馬さんの旅の時期 1977年9月
紀行テーマ・地点・歴史
天誅組は代官所を焼き、付近の桜井寺を本営とし、「五条御政府」という看板をかかげ、諸村の村役人をよび出し、かつて五條代官所支配の幕府は「天朝御直(おじき)」の土地・領民になった旨宣言し、さらに本年の年貢は半分、という旨、布告した。襲撃の翌日である。
たしかに明治維新よりも五年前に、小規模ながら「革命政府」できたのだが、・・・ 司馬遼太郎
『天誅組の浪士』たちがやってきて防戦した地を巡る。
◆五條:江戸時代の景観を残す街並みが残っている。
◆天辻峠:吉野郡西吉野村と同郡大塔村の境界。
◆五條:江戸時代の景観を残す街並みが残っている。
◆天辻峠:吉野郡西吉野村と同郡大塔村の境界。
天誅組(てんちゅうぐみ)。
幕末に、公卿中山忠光を主将に志士達で構成された、尊皇攘夷派の武装集団。大和国で挙兵するが、幕府軍の追討を受けて壊滅した(天誅組の変)。
コースのポイントと標高差
29-017 R168大塔~R49~川合~R53~R168大塔 約50km。
天川村に行ったついでに、天辻峠に立ち寄った。さすがにこの峠を越すことは出来なかったが、天誅組本陣跡・維新歴史公園 までは往き引き返した。
五條
河内長野駅の少し手前から金剛山の山中に入り、山中、観心寺の門前を過ぎ、 小深という山間の集落を経て山頂近くで千早峠のトンネルをぬけ、奈良県側に下って降りてゆくと、 降りきったところが五條だという。・・・ 司馬遼太郎
五條新町の町並み。
◆五條。
旧紀州街道には今でも江戸時代の景観を残す街並みが残っており、宿場町として栄えた往時をしのばせる。
道の駅吉野路 大塔(おおとう)
天辻峠
天辻峠に、文久三年(1863)九月、天誅組の浪士たちがやってきて防戦のための本営をかまえた。たしかにこの峠を北方から攻めようと思えば「鳩ノ首」と呼ばれる小峠から小径がひとすじ 通じているにすぎず、ここをふさぐだけでその奥の十津川郷は十分守ることができる。 ・・・ 司馬遼太郎
天辻峠。
◆天辻峠。
吉野郡西吉野村と同郡大塔村の境界でり、標高は約800m。紀ノ川水系と熊野川水系の分水嶺で、西熊野街道の最難所であった。
天誅組本陣跡。
以上。
(2015.09.14)
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