2023年3月31日
高安山越十二道 八尾市 No.09
鉢伏道 (標高:420m 距離:約 2.1km) の詳細
2023.02.28 の状況
高安山越十二道の全ルートを踏破すべく、初めて登った「
2022年1月16日」は、「道がなく、前の見えない激藪のジャングルをかき分けて進み、突然現れる倒木を越え、縋るものもないゲキサカをよじ登る」と言った荒れ果てた廃道寸前のルートだった。
そんな道を一年を経て登ってみると、笹が刈取られ・ロープが渡され・階段が設置された立派なハイキング道として甦っていた。
地理院地図などで示される標高300m地点にはベンチが作られている。
鉢伏道ルートの地図
1. 鉢伏道登り口までの2つのアプローチ
信貴山口駅をスタート地点にすると、鉢伏道登り口まで「右回り」と「左回り」の2つのアプローチがある。

スタート地点の信貴山口駅を、正面から見た様子。

①.右回りルート:「信貴山口駅」から右に出て登る場合、「西信貴ケーブル」の【信貴山口第一号踏切】を渡るのがポイントで、「木心庵」の前から住宅街を抜けて行く。

②.左回りルート:「信貴山口駅」から左に出て登る場合、「信貴山線」の【服部川第3号踏切】を渡り、細い道に沿って東に進むのがポイント。

鉢伏道登り口の様子:どちらのルートを通ってもここに出る。この先の細い道に入ってすぐを右に曲がる。

途中に左方向への分岐があるが、曲がらず直進して道なりに進む。

やがて【信貴山口第二号踏切】に出るので、ここを渡る。

2. 信貴山口第二号踏切から尾根に出るまでの詳細
信貴山口第二号踏切から尾根に出るまでの地図。なるべく早く尾根に出るべく線路沿いを行く。

第二号踏切を渡って竹林の中を進むと、倒木が輪切りにされた地点に出るので、ここを左折し線路が見えるところまで行く。

線路が見える地点に出てからは、線路に沿って竹林の中を行く。

竹林を抜けると、眼前にゲキサカが現れるが、直登を避けて右から回り込む。

右に出て突き当たると、傾斜の緩やかな谷筋に登るロープがあるのでここから回り込む。

暫く登り、青色の目印テープが2つ見えたらルートを左に取る。

左に登ると、左底がケーブルの線路になっている尾根に出る。

ここからの登りもきついが、ロープが渡してあるので支えにしながら登る。

ロープの先に、二股の大木が見えて来る。

この二股の大木を境に、コースの状況が大きく変わる。
3. 尾根を歩いて標高300m地点までの詳細
尾根を歩いて標高300m地点までの地図。

二股の大木を越えると道幅は広いが、右側の傾斜がきつくなり稜線に出たと言う感じになる。窪んだところには、あまりにも多くの落ち葉が積もっていて歩きにくい。(上から下を振り返り、二股の大木を見た様子。)

木々に覆われた広い尾根を抜けると、明るい開けた地点に出る。

この辺りからは右側が切り立っているので視界が開け、八尾市内が望める。

大きな倒木が周りの木々をなぎ倒しているが、通行の妨げにならないように整備されている。

やがて登りに差し掛かり、前方にロープが見えてくる。

道が右に傾斜して歩き難いが、ここも丁寧にロープが渡されており掴まることが出来る。

参考:昨年のこの辺りは、激しい竹藪の密林で、どこから登って良いか分からない状態だった。

それがこのように切り開かれて、且つ、ロープが渡されている。

ロープの終端辺りから振り返ると、大阪の北東部が見渡せる。

やがて傾斜が緩くなった笹の道になる。この辺りの笹は背丈が高く、且つ、太いので、刈り取った根本が堅く靴底に突き刺さる。

地図に示されている「標高300m」地点に到着。平坦な広場になっており、立派なベンチが作られている。

参考:この「標高300m」地点の一年前、2022年の様子。

同じ角度から見た現在の様子。

「標高300m」地点からの眺望。

左前方に八尾空港が見える。

4. 標高300m地点から鉢伏古墳までの詳細
標高300m地点から鉢伏古墳までの地図。

標高300m地点からは、一旦、下に降りる。

鞍部になった底地点。いわゆる「堀切」跡なのだろうか。

鞍部から300m地点を振り返って見ると、これだけ下っている。

鞍部を過ぎると、緩やかな登りの尾根道になる。

陽当たりが良く、歩きやすい尾根道を行く。

最大の難関だった急斜面に出る。

以前は、枝木を掴みながらよじ登ったが、今回はロープがあるので助けられるも、ゲキサカに変わりはない。

登りきると、大きな岩が重なった古墳に出る。

鉢伏古墳:片原山古墳と命名されているようだが、資料が無い。
片原山古墳(鉢伏古墳)
標高約380m付近にある、7世紀頃の横穴式石室を持つ古墳。登って来た急斜面は古墳の北壁で、左右は古墳の幅だけという狭さだが、ここからの尾根は少しの間平坦地となっている。
高安山:鉢伏山とも呼ばれる
660年:唐・新羅連合軍に攻め込まれた百済国を救うべく、斉明天皇や皇太子・中大兄皇子は軍団を率いて九州に向かうも、斉明天皇は九州で急死し、朝鮮半島に渡った軍も討ち負ける。
663年: 7月、白村江の戦いにて唐・新羅連合軍に大敗して百済国は滅びる。
この緊迫した状況のなかで、天智天皇(中大兄皇子)は、大国・唐が日本に攻め込んでくるのではないかと、本土防衛の壮大な山城群を築く。対馬の金田城、九州太宰府を守る大野城や基肄城、瀬戸内海の屋島城、そして最後の防衛拠点として高安城を築いた。
667年 – 3月、近江大津宮へ遷る。
「高安城址 高安の鉢伏山に在り、五老峰とも称す。 天智天皇初て此に築き烽火を置き、難波津大和京の警備と為す、 和銅五年、高安烽を高見(生駒山)に移し本城廃したり」
と、『大日本地名辞書』(吉田東伍、明治33年)に記されている。
ほうか【烽火】のろし。
上代、変事を地方から都へ通報するための設備で、要所の展望のきく所に壇を築き、昼は煙、夜は火で通報した。
5. 鉢伏古墳から展望台までの詳細
鉢伏古墳から展望台までの地図。

鉢伏古墳から東に向かう道の様子。暫くだが平坦な道になっている。

やがて、二股の大木が道に沿って倒れている地点に出るが、倒木を乗り越えるようにロープが渡してある。

倒木を越えると、右は尾根、左は谷筋になっているが、ここは左の谷筋を行く。

この辺りの谷筋も激しいブッシュだったように思うが、今は整備されている。

朽ちかけの倒木がある地点も整備され、歩き難さを補うようにロープが渡してある。

太い笹のブッシュだった薮が切り開かれたせいか、足元には笹の根元が多く残っている。

またも急登が現れる。

ロープと土留めの横木が階段状に設置されている。

山肌が雨で削り取られる箇所には、太い横木で階段状にいくつもの土留めが作られている。

カーブに沿って、扇状に作られた階段。

平坦部に出ると、周囲の笹が刈り取られて広場が作られ、ベンチも設置されている。

2023.03.29 桜に囲まれ、桜吹雪が舞うベンチ。

広場からの眺望は今一つで、下界は殆んど見えない。

左右が広く刈り込まれた尾根道を行く。

昨年の状態からは想像も出来ない、様変わりした「画竜点睛」地点が現れる。(点睛=手前の通り抜け)

参考:昨年のこの辺りは、木々と笹が混ざって生い茂り、右に滑り落ちそうな道が微かに見える状態だった。

土留めの横木とロープの道を登る。

左側の木立を利用してロープが張られ、木立の根元を杭替わりにして横木が設置されている。

前方に杉林が見えて来る。

杉林のところで尾根は左に曲がり、ロープが終わる。整備はここまでとなっている。

整備された鉢伏道の起点を振り返って見た様子。

ロープ区間が終わると、全く手入れのされていない個所に入るが、すぐにごじゅうからガーデンの展望台が現れる。

2023.03.29 桜に囲まれた展望台。

展望台からは、大阪平野が一望できる。

6. まとめ
「鉢伏道の状況」。
鉢伏道は、尾根を行く道なので「明るく・乾いた」気持ちがよいコースである。
しかし、ほぼ直登ルートになっているため、距離は無いがタフな登りのゲキサカが幾つもある。
ハードな登りの全てにロープが渡され、且つ、横木の階段も設置されるという整備が施されており、ロープに掴まって登れば誰でも歩ける容易なコースになっている。
鉢伏道の電波状況。

以上。
(2023.02.28)
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