2023年3月27日
奈良県:葛城市のトレッキングコース
二上山 雄岳-雌岳ハイキング
標高:517m 距離:約 6.6km
奈良県景観資産:千股池からあおぐ二上山-雄岳・雌岳と池に映る二上山。
道の駅 ふたかみ~二上山 雄岳-雌岳(左回り)ハイキング コース地図
「道の駅ふたかみパーク」から「加守南池」に出て「加守神社」に参拝して【雄岳】に登り、その後、【馬の背】に降りて【雌岳】に登り、【雌岳山頂】で昼食を摂った後、【馬の背】に引き返して「祐泉寺」を経て下山した。
「二上山駅」と「二上神社口駅」から登るルートとの位置関係。
コースの特徴。
北側の雄岳(おだけ・517m)と南側の雌岳(めだけ・474m)の2つの山頂がある双耳峰で、雄岳から登る方が傾斜が緩やかで登り易い。傾斜が急な箇所が多いが、コースの殆んどに階段が設置されており、誰でも歩ける。
山の電波状況も良好。
1. 道の駅ふたかみパークから雄岳登山口までの様子
道の駅ふたかみパーク當麻の駐車場を山手に出て、右に行く。
右手に大和三山が見える、のどかな早春の道を行く。
この辺りにはため池が幾つもあり、その間を縫って進む。
やがて左側が「ため池の土手」になっている地点に差し掛かる。
この池は、加守南池(かもりみなみいけ)と言うらしい。
土手が途切れた地点に道標が有り、左折すると「二上山登山口」と標されている。
目の前に二上山が見え、山に向かって進む。
突き当りに「加守神社」「倭文神社」「二上神社」と記された神社がある。
拝殿まで行ってみる。階段の左側に、二宮金次郎像がある。
手水の上に、三社の説明板が掲げられている。
中央に「葛木倭文坐天羽雷命神社(かつらきしとりにいますあめのはいかづちのみこと)」と正式名が標されており、 別名「倭文(しとり)神社」と呼ばれ、天照大神の衣を織った「天羽雷命(あめのはいかづちのみこと)」がご祭神である。
左には、加守(かもり)神社(掃守神社)=産婆の神、産育の祖が、
右には、二上神社=文と武の神の説明があり、三社が相殿となっている。
神社の横の出ると「右:雄岳登山口」の道標が有り、ここから登る。
やがて林道に入った先に、猪よけのフェンスがあり鍵を開けて入る。
2. 雄岳登山口から雄岳頂上まで-登りの様子
フェンスを入ると、土留の横木が設置された階段になる。
途中に平坦な場所もあるが、・・・。
急な「階段」「階段」「階段」の登りが続く。
平坦で「切り株」がベンチになる所もある。
一息ついて、また登る。
ベンチがあり、右から登ってくる道との合流地点に出る。
二上山駅方面から登ってくる「六合目ルート」の様子。
ここにはベンチが幾つも並んでおり、少し休憩を取る。
またも「階段」「階段」「階段」をのぼる。
急登があり、ここには鉄製の階段がかかっている。
岩を砕いて切り開いたような、石積みの階段もある。
まだまだ「階段」「階段」「階段」の急登が続く。
少し平坦になり、階段が無くなる。
左側が開けてきて、奈良盆地が見えるようになる。
右に、コンクリートで出来た壁が現れる。
この上に、天武天皇の皇子で文武に秀でていた、大津皇子のお墓がある。
「天武天皇皇子 大津皇子 二上山墓」で、宮内庁の管理になっている。
大津皇子と二上山
大津皇子(おおつのみこ)は天武天皇の第3皇子で,母は天智天皇の長女の大田皇女(おおたのひめみこ)。
大津皇子の系図。
当時の天皇と在位期間。
当時の天皇と都の所在地。
当時の出来事。
660年:唐・新羅連合軍に攻め込まれた百済国を救うべく、斉明天皇や皇太子・中大兄皇子は軍団を率いて九州に向かうも、斉明天皇は九州で急死し、朝鮮半島に渡った軍も討ち負ける。
663年:7月、白村江の戦いにて唐・新羅連合軍に大敗して百済国は滅びる。
この緊迫した状況のなかで、天智天皇(中大兄皇子)は、大国・唐が日本に攻め込んでくるのではないかと、本土防衛の壮大な山城群を築く。
・・・そして最後の防衛拠点として高安城(高安山)を築いた。
667年:3月、近江大津宮へ遷る。
第26経塚 二上山 陀羅尼品(だらにほん)と書かれた道標が立っている。
奥に、自然石で囲まれた土盛の最上段に立石が安置された経塚がある。
横にある、葛木二上神社(かつらぎふたがみじんじゃ)。
葛木二上神社(かつらぎふたがみじんじゃ)
二つの山頂を持つ「二上山」を神体山として神を祀った、素朴な山岳信仰に始まったことが考えられます。
二上山は刃物の材料として適したサヌカイトが産出されており、 旧石器時代から人々に有用な山として利用され、同時にこの山への信仰も極めて古いことが窺えます。
さらに、社殿横の森の中に「二上白玉稲荷大神」と刻まれた石碑が建っている。
すぐに雄岳山頂に到着するも、何もない。
雄岳(517m)雌岳(474.2m)の説明板と、その足元に「山頂標識」があるのみ。
雄岳山頂からの見晴らし、・・・良くない。
3. 雄岳から馬の背までの様子
雄岳を後にして雌岳に向かう。
急坂には板の階段が作られている。
左前方に、PLの塔が見える。
左下にヘアピンカーブした分岐が「チラッと」見えるが、直進してしまう。
※:注意ポイント
ここは、注意していないとうっかり直進してしまう。
直進すると、二上山駅方面への「銀峰ルート」に行く分岐になっている。
引き返して、ここを左に降りる。
「右に杭が打たれロープが渡してある急坂」を下るのが、正解。
前方に葛城山が見える。
土留の横木の下が雨水で流され、土が深くえぐり取られた、まるで橋のような階段を注意深く降りる。
馬の背に到着。
大阪方面から登ってくる道に、「←岩屋 雄岳→」の道標が有る。
奈良方面から登ってくる道の横には、近畿自然歩道の案内板が有る。
4. 馬の背から巡った雌岳の様子
トイレの間を通って雌岳に向かう。
雌岳への登りは、道が広い。
しかし、急坂がきつく、途中にベンチが幾つもある。
頂上手前に、左に行く道がある。
ベンチの上に種々の「種」が置かれ、小鳥が多く集まる餌場となっている。
二上山の野鳥-20種類の説明板。
野鳥が観察できる四阿もある。
右に回り込み、雌岳山頂に向かう。
雌岳山頂に到着。
雌岳の「山頂標識」。
空いているベンチがあったので、昼食にする。
雌岳山頂の様子
万葉歌碑:巻10-2185。
「大坂をわが越え来れば二上に黄葉流る時雨ふりつつ
(大坂をわが越え来ればふたかみにもみちは流るしぐれふりつつ)」
奈良方面の眺望。
日時計:撮影時刻 12:30 → 合っているように見える。
葛城山から金剛山方面の眺望。
大阪の南部方面の眺望。
大阪の北部方面の眺望。
万葉広場方面の道標が立つ、左側に降りる。
雌岳を中心に、右回りに降りる。
左に大阪方面を望みながら降る。
馬の背まで引き返し、右にある「祐泉寺」の道標より下山する。
雌岳には「左側から登って、左側に降りる」右回りルートがお勧め。
5. 馬の背から祐泉寺まで-下りの様子
道の脇にある道標には、祐泉寺まで「0.9KM」と記されている。
この道はゲキサカで、降りるにも注意が必要だ。
階段の横にはロープが渡してある区間もある。
木の根と石が剥き出しになっていて歩きにくい。
途中からは、沢に沿った道になる。
沢を渡るための階段状の橋が、左へ右へと幾つも設置されている。
沢に沿った道が続く。
濡れた狭い岩の道もあり、細心の注意が必要。
ここは、橋が木で作られている。
杉林の中、沢沿いの道を行く。
水量が多い時は、どうなるのでしょうか。
何やら「門」が見えて来る。
祐泉寺の山門だった。
祐泉寺の前は、岩屋から下りてくる道との合流地点になっている。
6. 祐泉寺から道の駅までの様子
祐泉寺からは舗装された一般道になる。
右の沢が深くなった杉林の中を行く。
杉林を抜けて、明るい地点に出る。
左手に「鳥谷口古墳」の案内板がある。
鳥谷口古墳
二上山と言えば、大津皇子(おおつのみこ・天武天皇の第三皇子)のために姉の大伯皇女(おおくのひめみこ)が詠んだ「万葉集」の次の歌があります。
うつそみの人なる我や明日よりは
二上山を弟と我が見む
この歌の詞書(前文)には
「大津皇子の屍を葛城の二上山に移し葬る時に大来皇女の哀傷して作らす歌…」とあり、
皇子の亡骸が二上山に葬られたと、記されています。
現在、大津皇子の墓は二上山雄岳山頂にあるとされていますが、この鳥谷口古墳が「万葉集」に記された皇子の墓であるという説もあります。
「大池」字のごとく大きな池があり、鴨が多く泳いでいる。
大池の畔にある道標。
大池を下ると「當麻山口神社」の鳥居がある。
神社の横には「傘堂」がある。
傘堂の案内板。
「真柱一本で宝形造本瓦葺屋根を支える独特の姿から傘堂と呼ばれる。」と記されている
傘堂の脇から降る。
左手に「厳島神社」があり、横から市街地に出る。
神社の石垣の下に「傘堂」の案内板がある。
住宅街に入る。
辻には道標が立てられている。
二上山ふるさと公園に向かって、住宅地を歩く。
道の駅ふたかみパークに帰ってきた。
朝に出発した地点に戻る。
天気:快晴、気温:10℃ 最高気温:15℃、早春の暖かい日で、暑くもないハイキング日和。
以上。
(2022.03.14)
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