十三峠越えルートの詳細
十三峠越えルートの詳細(下り)
十三峠越え = 標高:422m 距離:約 1.9km
十三峠越え
大阪玉造から深江、高井田を経て、神立から大和の龍田に越える峠をいう。文久3年(1863)8月、伴林光平が、大和天誅組の旗上げの時、大阪玉造に和歌の教授に来ていて、十六日の夜半その通知をうけて、直ちに脚気の重い足を引きずるようにして、急ぎこの十三峠を越えて、大和畝傍にかけつけたのである。大阪玉造と大和龍田方面とを結ぶ最も重要な街道筋の峠に当る所である。明和2年の峠の地蔵と天理教小寒さんの碑がある。
1. 高安山越十二道と十三峠越え
生駒縦走歩道に繋がった十二道の中から、登り口や下山道を自由に選択して組み合わせると、バリエーションに富んだ「高安山」トレッキングコースが選定できる。
恩智越えは、よく整備されており、休憩用のベンチも多く初心者向き。
2番:十三峠越えルート
水呑地蔵尊を経て十三峠に至る道で、整備されているので歩きやすい。
3番:おお道越えルート
道は狭いが状態は良く、岩が多いが歩きやすい。ほぼ直登なので、距離は短いが傾斜が一番きつい。
4番:立石峠越えルート
立入禁止の柵があったが、登れる。但し、1か所土砂崩れの箇所があり、注意深く進む必要あり。
5番:信貴越え(黒谷道)ルート
特に危険箇所は無いが、笹がかぶさってブッシュ状態になっており藪漕ぎ(やぶこぎ)が必要。
6番:神宮寺道ルート
マウンテンバイクのダウンヒル専用道路状態だが、バイクで路面が剥き出しになっていて歩きやすい。
2. 十三峠越えルートの地図
②.途中に「水呑地蔵尊」がある。
③.神立茶屋辻を経て、神立辻地蔵(こうだちつじじぞう)で終点。
3. 十三峠越えルートの詳細
水呑地蔵
承知三(八三六)年、僧壱演がここに地蔵菩薩を安置して堂宇を設けたという。本堂の南側に小祠があり、石地蔵の前に二つのつぼがある。こんこんと清水がわいていて、俗に「弘法水」という弘法大使が山麓から急坂を登って、このすぐ上の十三峠を越える旅人のために祈願して得た霊水という。
飲料水として、また脚気などの諸病にも効験あるといわれ参詣者がたえない。(※現在は生水は飲めません。)
君来むと
いひし夜毎に過ぎぬれば
頼まぬものゝ 恋ひつゝぞ経る
「伊勢物語」23段 筒井筒より大和の男(在原業平)は幼なじみの女と暮らしていたが、高安の女をみそめ、そのもとに通う。
ある時、女が侍女に給仕をさせず、自分でご飯を器に盛ったのを見て、男は心変わりし通わなくなる。
それでも女は待ち続け、この歌を詠んだ。
謡曲「井筒」「高安」でもよく知られている。
神立茶屋辻
この街道はむかし大阪玉造と大和竜田を結ぶ重要な道筋にあたりこの辻には多くの茶屋が並んでいたのでその名がある。また在原業平と茶屋娘の恋物語りで名高い。
業平が峠を越え玉祖神社へ参詣の途中、福屋の娘梅野をみそめたが、ある夜東窓があいていたので中をのぞくと、娘が手づからでめしを食っているので、急に興ざめ逃げ帰った、娘は後を追ったが見あたらず悲んで渕に身を投げた。
この高安の里では、今でも東窓を忌み、これをあけると娘の縁が遠くなるという伝説がある。 この道を登ると水呑地蔵、十三峠がある。
石仏の道
十三街道には、多数の石仏が置かれており、神立辻地蔵堂の前にある石仏が一番と二番で、ここから水呑地蔵尊へ到るまで、道の脇に三十三番まで、二体づつ、都合六十六体の石仏が置かれているという。
十三仏
十三峠の名は十三塚に由来する。峠の北側には名称の起こりとなった十三塚がある。十三仏は人の死後、初七日から三十三回忌までの十三回の追善供養を司る仏尊。
とすれば石仏が三十三番まであるというのも合点がいく。やはり十三仏に違いない。
以上。
(2020.11.12)
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