京都府のサイクリングロード
26-005 鞍馬~洛北諸道一周 約76km
この僧兵の村はいまでもそうだが、古来、七つの組で組織されている。 大総仲間、宿直仲間、僧達仲間、名衆仲間、脇仲間、大工衆仲間、大使仲間の 七組で、とくに大総(大僧)仲間の家の者はいまでも鞍馬の竹伐会とよばれる 祭礼のときには僧兵の姿をし、太刀を帯びて出て来る。 ・・・ 司馬遼太郎
◆鞍馬寺:牛若丸(源義経)が修行をした地。
◆花背:花の美しい北山の懐にあるので「花の背」と呼ばれた。
◆峰定寺:鳥羽法皇建立の本山派修験の寺。
◆常照皇寺:光厳上皇が開創した、臨済宗天龍寺派の寺。
◆山国神社:光仁天皇によって創立された。
◆御経坂峠:みきょうざかとうげ 標高216mの国道162号の峠。
鞍馬寺の大きな石段の下に鞍馬街道が走っている。その街道に沿って、京格子の古めかしい民家がびっしりならび、・・・、いかにも古街道のおもかげがのこっているが、・・・スタスタ坊主を配すれば・・・。
山伏も、鞍馬街道をゆくにふさわしい。とくに京都方面でなく、北方の花背峠のさびしい杉木立をわけ入ってゆく姿として山伏はこの街道にもっともふさわしいかもしれない。・・・ 司馬遼太郎
ウズザクラと呼ばれ、様々な種類の桜が松や杉などの常緑樹の木々の中に混じって点々と咲いている様子を指す。平安時代の馬の鞍飾りである雲珠(うず)に似ているところから、この名がつけられたといわれている。
牛若丸(源義経)が修行をした地、能の『鞍馬天狗』でも知られる「鞍馬山」は、650年前に護法魔王尊(天狗の総帥)が、ナント!金星から降ってきた場所と言われている。その鞍馬山が境内となるのが「鞍馬寺」。
650万年前に金星から地球に降り立ったサナト・クマーラ(ヒンドゥー教の神話に登場する賢人)と同一視されており、『鞍馬』は『サナト・クマーラ』が転化したものだと言われている。いずれにせよ、鞍馬寺には一般の仏教寺院とは少し異なった雰囲気が漂っていた。
京都市北部、左京区の一地区。旧花背村。現在一般には住居表示その他「花脊」の表記が用いられる。かつての若狭(わかさ)街道は鞍馬から当地を経て小浜(おばま)に向かった。四方を山林に囲まれた山間の僻地(へきち)であるが、大堰(おおい)川の支流の寺谷(てらだに)川に沿って集落が点在し、国道477号が通り、出町柳よりバスが通じる。寺谷川に臨む大悲山(だいひざん)(747メートル)には峰定(ぶじょう)寺がある。
スタート地点: 鞍馬温泉 看板前
ゴール地点 : 峠ピーク(電光掲示板前)
標高差 : 504m 距離 : 5.8km
平均斜度: 8.6% 最高斜度: 約15%?
京都府の国道・舗装路の峠として府下で最も標高が高く、人気コースの一つ。「ヘアピン酷道」の百井の別れがあることでも有名。1km過ぎから10%近い直線的な登りが続き、終盤はつづら折れが続く。道幅はそこそこあるが、一部狭い。バスが通ることもあり注意が必要。
花背(はなせ)の里にある「摘草料理」で有名な料理旅館で、摘み取った季節の草花や旬の野菜に魚を取り入れた美しい料理は、立原正秋や白洲正子など多くの文化人から愛され、京都から「門外不出」といわれてきた。
黒田の百年桜
黒田卿の氏神である春日神社の脇にかつて桜の大木があったが、明治6年の台風により倒れ、これを惜しんだ村びとが、一本の八重桜を跡に植えた。通常の桜と思い何気なく植えたものの、これが一重と八重の混じり咲く珍しい種とわかり、昭和42年「百年桜」と命名されて大切にされている。
臨済宗天龍寺派の禅寺。北朝初代の光厳(こうごん)天皇が開き、南北朝の動乱という歴史の渦に巻き込まれ、ここに隠棲した。境内には、国の天然記念物である「九重桜」をはじめ、御所から株分けしたといわれる「左近の桜」、一重と八重が一枝に咲く「御車返しの桜(みくるまがえしのさくら)」など桜の名木がある。
平安遷都にあたり、御所造営の木材を山国の郷より徴せられ、この郷を御杣御料地(木材を切り出す所)と定め、宝亀年間(770年~780年)本殿が建てられた。明治維新の際の官軍「山国隊」が出陣の誓いをなした社で、境内の杉木立は、上桂川の清流を挟んで背景に広がる北山杉の林と相まって山国地域の象徴的な景観を形成している。
距離:1.7km、標高差:87m、平均勾配:5.1%、最大勾配:10%
以上。
(2018.04.03)
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